鶏を焼いた。

もも肉一枚の
チキンステーキである。




こんがり焼けて実にご機嫌❣️
あまり得意ではない鶏の皮が
コレなら好ましく美味しく食べられる。



そんなけいあゆ流には


いいお肉を選ぶ、

あるいは皮と身の間の脂の掃除をするなどの

ひと手間や


焼く際に重しをしてぎゅうぎゅうフライパンに押し付けるようにして焼く、

出た脂はこまめに捨てるなどのコツもある。




レシピ詳細はコチラ下矢印
お安い鶏肉がちょっと豪華な一皿になる。
お試しあれ。



今回のチキンは

生協のオーガニックチキン、

冷凍肉だが

捨てる部位や脂がないほどキレイな品だった。

リピート必至。




マッシュポテト、(大きすぎる)芽キャベツ、

人参のグラッセを添えて



熱々の手作りソースをジュワッとかけて




俄然飲みたくなって

冷蔵庫にあったいただきものの缶ビールを開けた。


だが美味しかったのは1/2缶ほど、

あとは惰性。

もともと炭酸ギライである。


ちなみに

マッシュポテトとビールで糖質は充分なので

ご飯もパンも食べない。


まさしく

ワンディッシュの晩ごはん。



骨折からの退院後

特に飲みたい気持ちになることもなく


アルコールを口にしたのは

一月末の新年会の直前、

予行演習のつもりのワインだった。


新年会では乾杯のシャンパンもそこそこに 

シングルのウヰスキー水割りにさらに水を加えて二杯、

もちろん酔わないし脚に影響もなかった。


つまり三ヶ月のブランクは

問題なく埋まったのだが


それから一ヶ月

飲みたいとも思わなかったのだから


上戸ではあるが

実は酒呑みではないらしい。

だからといって

この際禁酒、なんて気は毛頭ないが。


美味しいものがあれば

それを一層美味しくいただくために

料理に合うお酒があればいい


とまあ、そんな程度の酒好き。


友人にたいそうな酒呑みがいる。

ほとんど食べずに酒ばかりを飲む、

飲むと三代江戸っ子のべらんめえ調が出る

少し歳下の彼だ。


ワルイお酒ではないが

肴に興味津々なけいあゆとは相容れない。


酒で寿命を縮めるのでは…と心配したが

幸い元気に七十路を迎えたようだ。




うさぎうさぎうさぎうさぎうさぎうさぎうさぎうさぎ



そんな酒呑みは

平安の昔にもいて

古文で出会い一番印象に残っているのが

藤原道隆くんだ。


大河ドラマ『光る君へ』で

井浦新氏が演じている人物。

道長くんの長兄に当たる。


祭見物の際

車中で酒呑み仲間と三人で大いに呑んで

簾をあげてその乱れぶり丸見えの中

揃って烏帽子まで脱ぎ捨てて醜態を晒したこともあった。


烏帽子は人前では決して脱がないもので

それを脱ぐのはパンツを脱ぐのと同じくらいの恥に当たる。


宮中での争いで

相手の烏帽子をはたき落とすという暴虐を働いたかどで

帝の怒りを買い

みちのくに流されてそこで果てた公卿もいた。





そんな時代である。


だが彼の飲みっぷりで

私が一番好ましく感じるのは

泥酔してもその醒め際が極めてよかったことだ。


『大鏡』には彼の賀茂神社詣の折の記事がある。


酒呑みと承知の禰宜が

習わしの盃三杯の酒ではなく大盃で供すると

それも七、八杯をあおり

上の社に参る車中で爆睡してしまう。

そのまま社に到着、同行の道長くんが

声をかけ扇を鳴らして起こすが目覚めず

ついに衣の裾を引いて手荒に起こすと


シャッキリ起き上がり

用意の櫛笄で髪を整え

何事もなかったかのように

降り立って参詣されたという。


『大鏡』の語り手は

その醒め際の良さを

「それほど呑んで酔った人は(普通なら)その夜は起き上がれるはずもない」

と呆れ称賛してもいる。


泥酔して爆睡、

醒めるやマイ櫛笄で手早く身繕いをする

そのダンディぶりは

なかなかカッコいい。


そんな彼は43歳で亡くなる。


疫病の流行った年だったが

彼の死因は「酒の上の病い」だったという。


死に際には

西に向いて極楽往生を祈るのが慣わしだったが、


彼の最後の言葉は念仏ではなく

「済時 朝光なむどもや極楽にはあらむずらむ」

済時、朝光なども極楽に待っているんだろうな


そう、済時、朝光こそ

祭見物の車中でも共に呑み遊んだ酒呑み仲間。


極楽に行って

また仲間と呑もうという

なかなか痛快な大酒呑みである。


もっとも彼が長男伊周(これちか)の後継の準備も整わないうちに早逝したことで


遺された一家は急速に零落していく。


後ろ盾を失った中宮定子が

名ばかりの皇后として悲運の最期を遂げたのは

1000年のこと。

彼女に仕えた清少納言の消息も途絶える。



それから後に

中宮彰子に仕えることになる三十代の紫式部が

宮中で清少納言と見(まみ)えることはなかったはずで


清少納言と紫式部はライバルとよく言われるが

(実際『紫式部日記』には

清少納言への辛辣な批判も見られるが、)

それは

紫式部側からの"勝手にライバル"だったということだ。


まあ、ドラマはフィクション

資料の乏しい時代だからこそ

奇想天外な展開も楽しめる。


井浦新氏は道隆を演じるに当たり

『枕草子』や『大鏡』を読んだそうだが


さてドラマでどんな道隆像を見せてくれるか、


役者さんとしての彼を好ましく思い

道隆さんのファンでもあるけいあゆとしては

そのあたりはちょっと楽しみだ。




うさぎうさぎうさぎうさぎうさぎうさぎうさぎ


ブランチには三点盛りをお菜に



大江の郷から届いたデニッシュを食べた。




お菜は

おじいちゃん炒め(牛肉と玉ねぎのトマト炒め)。

芽キャベツ、スナップエンドウ、

ボロニアソーセージの塩炒め。





林檎とナッツとゴルゴンゾーラチーズのマカロニサラダ。

コレはワインの肴にも最適だが

今は飲むより食べる方に比重がかかる。




美味しくしあわせな朝だったが


灰色の雲に閉ざされた世界に

出かける気になれずに


古文を紐解いたり


こころばかり信州の

星と温泉の世界に遊ぶことになった。





<けいあゆの古文語り>


『大鏡』


「この大臣は、これ、東三条の大臣の御一男なり。御母は、女院の御同じ腹なり。関白になり栄えさせ給ひて六年ばかりや御座しけむ、大疫癘の年こそ失せ給ひけれ。されど、その御病にてはあらで、御酒のみだれさせ給ひにしなり。男は、上戸、ひとつの興のことにすれど、過ぎぬるはいと不便なる折侍りや。


(中略)


 ただしこの殿、御酔のほどよりはとくさむることをぞせさせ給ひし。御賀茂詣の日は、社頭にて三度の御かはらけ定まりて参らするわざなるを、その御時には、禰宜・神主も心得て、大かはらけをぞ参らせしに、三度はさらなることにて、七八度など召して、上の社に参りたまふ道にては、やがてのけざまに、しりの方を御枕にて、不覚に大殿篭りぬ。一の大納言にては、この御堂ぞ御座しまししかば、御覧ずるに、夜に入りぬれば、御前の松の光にとほりて見ゆるに、御透影の御座しまさねば、あやしと思し召しけるに、参りつかせ給ひて、御車かきおろしたれど、え知らせ給はず。いかにと思へど、御前どももえおどろかしまうさで、ただ候ひなめるに、入道殿おりさせ給へるに、さてあるべきことならねば、轅の戸ながら、高やかに、「やや」と御扇を鳴らしなどせさせ給へど、さらにおどろき給はねば、近く寄りて、表の御袴の裾を荒らかにひかせ給ふ折ぞ、おどろかせ給ひて、さる御用意はならはせ給へれば、御櫛・笄具し給へりける取り出でて、つくろひなどして、おりさせ給ひけるに、いささかさりげなくて、清らかにてぞ御座しましし。されば、さばかり酔ひなむ人は、その夜は起きあがるべきかは。それに、この殿の御上戸は、よく御座しましける。その御心のなほ終りまでも忘れさせ給はざりけるにや、御病づきて失せ給ひけるとき、西にかき向け奉りて、「念仏申させ給へ」と、人々のすすめ奉りければ、「済時・朝光なむどもや極楽にはあらむずらむ」と仰せられけるこそ、あはれなれ。つねに御心に思しならひたることなればにや。あの、地獄の鼎のはたに頭うちあてて、三宝の御名思ひ出でけむ人の様なることなりや。



飲みっぷり、酔いっぷり、醒めっぷりのよかった道隆くん


死にっぷりもなかなかだったが


家族の長として家を守るには

酒もほどほどに長寿を期すべきだったか


いや人生は自分のものだから

家や子孫は二の次でもいいんじゃない?


そろそろ美味しいものに美味しいお酒も

楽しみたいけいあゆである。