残った(残しておいた)具材をそれぞれ小さく刻んで、炒めたベーコンを加え、
作り置きのトマトソースを加えて煮ただけ。
トマトソースにはたっぷりの玉ねぎとセロリ、そしてトマトが入っている。
雑に刻んだそれらが
リメイク料理でいい味を出してくれる。
利用拡大中の今は330円〜の配達料が無料。
さらにこんなサービス期間中でもあり、
おまけに弱いけいあゆは
今回でその四回目クリアである。
サイトで途中経過の連絡もあり
予定通り青年が雨に濡れてやって来た。
実にアリガタイ。
無駄な買い物をしないよう心がけているが
一つだけ甘いものをプラス。
リハビリ後のおやつに…
自分へのご褒美も必要。
便利なセブンNOWはサービス地域を拡大中らしい。
体調の悪い時、悪天候の日、
特に1人暮らしの高齢者にはアリガタイサービスだと思う。
珍しくTVを点けて
音を消し
走る男たちを見るともなく見ている。
マラソンの舞台、大阪も冷たい雨が降っているらしい。
雨に濡れて黙々と淡々と走るアスリートたち。
何につけてもひとり頑張るひとが好きだ。
そうは見えないかもしれないが
意外に真面目なけいあゆである。
先日
佐賀の香久子さんのブログで
『月の砂漠』の不意打ちにあった。
彼女は恩師の書道作品としてそれを紹介しておられたのだが、
そのタイトルを見た途端、
その歌詞もメロディも
たちまちアタマに浮かび
それを歌う森繁さんと父が甦った。
そして口ずさんでいると
平山郁夫画伯の『月光の砂漠』もまた眼前にありありと。
それは父に連れられて見た映画のタイトルで
妻を喪った男がひとりで娘を育てる話だったことが思い出されたが、
その男が森繁さんだったか、
単に主題歌を歌うのが彼だったか
お風呂で男が幼い娘にそれを歌って聞かせるシーンがあったように思うが
そのあたりは曖昧だった。
検索して辛うじて得た情報は
父役が森繁久彌、長じた娘が香川京子で
その娘の結婚までが描かれたようだ。
父はよく私を映画にも伴った。
子ども向けのそれではない。
それは全て小学生の頃のことで
理解出来る範囲を超えていたかもしれないが
印象的な場面場面が記憶の底に沈んで
ふとした契機で表層に浮かんでくる。
『椿三十郎』(1962)のラストシーンで
心臓を一撃されて激しく血飛沫が飛ぶさまは
それが白黒映画だったはずなのに
真っ赤な映像として残っているし
『沖縄決戦』(1961)の凄惨な場面場面は
反戦の意識となって私のこころに刻まれた。
他にも挙げればキリがない。
父は本当は母と出かけたかったのかもしれないが
その頃母は弟たちの世話に追われていただろうし
父が面倒な私を連れ出してくれるのが
母にとってはアリガタカッタのかもしれない。
長ずるに従って
父と映画に行くことはなくなったが、
大学時代には
出張で上京した父と
美術館を訪ねるのが常となる。
上野でフォービズムの展覧会を観た後
好悪が分かれてちょっと議論になったこともあった。
いずれにせよ
私の中に刻まれた思い出は
確実に今の私に繋がっている。
根底にあるのはリベラリズム。
揺れることはあっても
其処に戻れるのは幸いである。
走る男たちの決着もついたようだ。
この大阪マラソンで
パリ五輪への夢を勝ち取った者はいなかったそうだ。
優勝者さえもオリンピック出場資格となる記録に達しなかったという。
だが
灰色の空の下冷たい雨に打たれて走り抜いた過酷な時間は
彼らにとって忘れられないものになっただろう。