相生橋から
せきれい橋を過ぎて

善福寺川緑地を行く。


浜田山での買い物を済ませ

ミニバスすぎ丸くんに乗り

善福寺川緑地で途中下車した。

そこから上流へと

咲き初めた桜を愛でながら行く。







川辺には水鳥たちの春も来ていて…



広々とした緑地公園には

散策する人と犬も多く

元気な子どもたちの姿もある。



もちろん
ひだまりのベンチに憩う高齢者たちもいて
なんとも長閑な時間が流れている。

此処も東京?
とブロ友さんに訝しまれたこともある風景だ。




見上げる空に桜🌸ピンクが映えて美しい。



此処を歩くのは三年ぶりか…


好きな白い桜…大島桜も健在だ。

この桜の大きな葉が道明寺桜餅を包む葉になるとか。

なんでも葉脈が柔らかくて具合がいいらしい。






さらに上流に進むと

川幅が狭くなり

両岸の桜が川に溢れるほど咲いて

それはそれは見事な並木がある。


☆2019.4.5


それはちょうど五日市街道を越えたあたり…

と目指して行くが


途中護岸工事で行き止まり。

川辺を行くことはできなくなった。




やむなく西田橋から川辺を離れ

五日市街道に出ると

見覚えのあるバスの車庫があった。


折しも

先ほど浜田山の成城石井で買った荷物が

ずしりと重く感じ始めていたところだ。

桜並木は諦めて

此処から中野行きのバスで新高円寺へ

そこからさらにバスを乗り換えて帰宅することにした。



そのバスの車窓から見えた桜並木は

まだまだ咲き始めたばかり。


咲き乱れる桜と

川を行く花筏の夢幻の世界は


旬日後になりそうだ。


☆2019.4.5




それにしても

この川辺を歩き始めた頃は

この川が蛇行して流れていることを知らず

2時間も川辺を歩いた帰り道

歩き疲れてタクシーを使うと

我が家まで

ほんの10分ほどで到着して

狐につままれたような気がしたものだ。





地図でわかる通り

善福寺川は龍のようにうねって流れている。

そしてその川辺は大半が緑地や公園だ。

初めてそこに迷い込むと

たちまち方角を見失ってしまう。



小学生の孫を預かっていた当時

転校間もない孫が

クラスメイトたちに誘われて川辺に出たものの

徒歩の孫は自転車の彼らと逸れて

一時的に行方不明になり


遅くなっても戻らず

しかし

要介護の母を置いて探しに出ることも叶わず

警察のチカラまで借りて

結局ずいぶん離れた場所で

保護されるという出来事があった。


その折は

"自転車の子どもたちが

逸れた孫を見知らぬ川辺に置き去りにしたのだ"

ひどく腹を立てたものだったが


近隣に明るい彼らにしてみれば

格段の悪意はなく(ちょっとしたイタズラ心で)

孫をマイて

自分たちがそうであるように

"なあに迷っても一人で帰れるさ"

ということだったかもしれない。


つまりは

孫も私も川辺の地理に疎かったため

彼は道に迷って方向を見失い

私はイジメを疑ったのだった。



コレがセーヌ川だったら

そんな事態にはならなかっただろう。


もっとも私が歩いたのは

この地図の範囲内だけれど。



知らないパリの街角で迷っても

セーヌの岸辺に出さえすれば

それを辿って宿まで戻れる。

そんなパリの気ままな街歩きを

孫のベビーカーを押しなから楽しんだこともあった。



それにしても

"知らない"ということは

さまざまな誤認を生むものだ。

自省と共に思い出すことどもも多い。



そんな苦い思い出を噛み締めながらも

花に誘われて川辺を行くのは

心地よいものだ。




「ステキな桜の帯ですね」

後ろから声を掛けられた。

それも二人の女性から。




褒められてうさぎも喜んでいる。


手描き友禅の桜の帯に

桜の簪の帯飾り。



京都のブロ友さんから誕生日祝いにいただいた帯留がほどのいいアクセントになってくれた。


ベースはカバー力抜群のエスティローダーのファンデーション。

ちょっとしっかりめのグリーン系アイメイクで。



まつげは結構長いのでマスカラのみ。

ごく若い頃付けまつげは試したがエクステの経験はない。






桜の装いでの散策4000歩超




心地よい午後のひとときだった。


病院の桜も


私の好きな桜も




それぞれの場処で咲いている。


明日は天気も荒れ模様になるそうだ。