母の日が近い。

娘からはお花を贈ると前触れがあった。
楽しみだ。


私は私で
楽天の母の日フェアで
ちょっとおトクに
鉢植えのクレマチスを注文してある。


かつて母に贈って
以来毎年咲かせてきた紫系の"ヤング"が
今年は咲くどころか芽吹くこともなく
どうやら根までダメにしたらしいとわかって

母が好きな薄紫の大輪のクレマチスを
新しく育てることにしたのだ。

コレが届く予定の"ビビアン・ペンネル"。





そもそも
母の日にはカーネーション、
と長い刷り込みがあった。


それは小学校時代に起因する。
学校で母の日にカーネーションが配られた。

それは注文して購うものだったか、
それとも
一方的に無料で配られるものだったか、

そのあたりは定かでない。
何しろ半世紀以上も前の話だ。

紙で作られた造花のそれを
胸に付けて母への感謝を表せ
ということだったと思う。

だが
私も母もそれを決して喜びはしなかった。
少しも美しくなかったからだ。


教室で配られたのは
大半は赤いカーネーション、

だがクラスにひとりふたりは
白いカーネーション…

母のいない子には
白いカーネーションを挿させる
というのはいったい誰の考えたことだったろう。


調べてみると

日本で「母の日」が正式に定められたのは 
昭和21年のこと。

当初「全国未亡人団体協議会」などが中心となって造花のカーネーションが販売されたという。
当初から母のいる子といない子の色分けは行われていたらしい。

その色分けが子ども心を傷つける
という配慮から
赤いカーネーションに統一されたのは
なんと1960年になってからだという。

十数年もの間
白いカーネーションは母を喪った子どもの心を傷つけてきたのだった。


私は1951年生まれだから
私の遠い記憶は小学校低学年の頃の
出来事だったことになる。

まだまだ防空壕の名残が空き地の其処此処にあった時代だ。

私が
母の日の花だというカーネーションに
なんだか胡散臭さを感じて
好きになれないのは
どうやらそのあたりに起因しているようだ。

とりどりに美しく咲くカーネーションに罪はない。




オークションサイトで
カーネーションの帯を買った。
例によって未使用の美品をお安く。


ご覧の通り
黒地に刺繍のカーネーションが鮮やかに映える帯で
黒系の万筋着物に合わせてみたいと思っている。



其処には
赤と白のカーネーションが共に咲いている。

「母が此岸に居ようといまいと
あなたに母がいたことには変わりない」
と言わんばかりに。




私の祖母は
「母の日にはコレをいただくわ」
と息子四人に"感謝のしるし"を請求するのが常だった。
それは
帯だったり着物だったり指輪だったりしたが
"立替払い"で購入した代金の4分割の請求書が
母の日ちかくなると息子たちに届く。

母はそのやり方に腹を立てていたが

祖母にしてみれば
欲しくもないモノを四つ貰うより
欲しいモノを
という極めつきの合理主義のなせるワザだったろう。

四人それぞれに活躍する息子たちが自慢で
「息子たちから貰ったの」
この一言が言いたかったのが本音かもしれない。

母の日は
そんなさまざまな思い出の蘇る日。