昨日終日吹き荒れた雨嵐が去って
青空が広がった。
と見えて実はかなりな風の朝。

目の前で大きく揺れる欅に
風が見えた。


大きく揺れていたのに
カメラを向けると行儀良くおすましの欅くん。





昨夜は夕方あたりから
頭痛がして、

かねて頭痛持ちではないので
風邪をひいたか?
と訝しく、
ビタミンCたっぷりとセデスを飲んで
何度も体温を測ったが平熱、

…いつの間にか頭痛は消えた。

どうやら目の疲れから来る眼精疲労だったようだ。(それなら幾度も経験済み)


痛みにもツヨイけいあゆとしては
普段ならまるで動じないところだが…


今回ばかりは
頭痛が治るまでの間

もしや…と心がざわついた。

スーツケースに最低限の入院支度をしておこうか?
いわゆるパジャマは持っていないが
ホームウエアでいいかな? 
タオルも歯ブラシもいるよね。


とか

そのまま長い留守になったら
ナマモノはどうする?
植えたばかりの花や木は?

まして明日届く"天使の海老"は⁉️

保険証券も見えるところに出しておこうか?
これまで一度ももらったことのない入院保険…

もしやこのまま還らぬことになったら?
死亡保険金でウチの片付けは賄えるはずだが…

などと悩ましい想像は広がるばかり。


どうやら
コロナ禍って
平時も常にある
"唐突で不条理な死"に向かう
覚悟を定める
好機になるのかもしれない。
「死期(しご)は序(ついで)を待たず」
死はタイミングなどお構いなしにやって来るものだよ、
と兼好くんは言う。





というわけで…

チマチマと身の回りの整理に勤しむ。

一日一ヶ所❗️ 一日ゴミ2袋❗️




キッチンの整理をしていたら
こんな道具類が出てきた。

母の、私の、孫の、と似た道具がいくつもある。




コチラは親子丼などの専用の鍋。

そうした使用頻度の低い道具類は
母らしく一つ一つ袋に包まれて
棚に鎮座していた。
なんと煮魚用や雑煮用、しゃぶしゃぶ専用、おでん専用の鍋まで。



丼ものが好きな父のための道具…

母自身はそれを好まなかったから
父亡き後ずうっとしまわれていたらしい。

遠い日の父と母を思いながら
届いたばかりの卵で
丼が作ってみたくなって

残りもののヒレカツで
九条ねぎたっぷりのヒレカツ丼。





うーむ 
追憶と"同行二人"では
なかなか片付きそうもない。



昨夜は冷える宵だったからか
湯気のたつ料理が美味しい晩ごはん。

里芋を甘辛に煮て


oisixの貝柱入り焼売を蒸して


新キャベツの蒸し煮を卵とじにして


枝豆としらすの炊き込みご飯を炊いて



素朴だけれど滋味豊かなごはんになった。


もしかしたら
こんなごはんが
ひきかけの風邪を追い払ってくれたのかもしれない。




<本日のちょっとだけ古文>
『徒然草』155段

 春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は即ち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅も蕾みぬ。木の葉の落つるも、先づ落ちて芽ぐむにはあらず、下より萌しつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる気、下に設けたる故に、待ちとる序甚だ速し*。生・老・病・死の移り来る事、また、これに過ぎたり。四季は、なほ、定まれる序あり。死期は序を待たず。死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。



四季は遍在する、

たとえ今年のように急ぐ春早い夏であっても。

だが死の時期には決まった順序もなく

それは唐突にタイミングも構わずにやってくる。

だったら

その日のための準備もさることながら

甲斐ある今を積み重ねたい

とコレはけいあゆの私見。