このところ二日続けて母の夢をみている。

なぜか時間は逆まわりして
一日目の母は晩年のありようで
立てなくなってオムツをしていた。

書き留めなかったので
ディテールは記憶にない。

夢の中の母は自分の末期(まつご)を知らないが
私はそれを知っている。

母には残り僅かな時間…
もっと優しくもっと丁寧に
母の介護をできたのでは…
と夢の中で思っている。

二日目は残影を書き留めた。

夢の中の母はひとりで風呂に浸かっている。
私は浴室の外で待ちながら
長すぎる時間を案じて中に声をかけて
彼女を湯船から抱き起こし
風呂上がりの彼女をタオルでくるんで
抱き抱えながら水気を拭く。
介護しながらその水滴や温もりを感じている。

そのまま 場所は洗面台に移り
鏡の前に立つ母をぐらつかないように
後ろから支える私がいる。
私より 長身の母である。

母が手にして今にもつけようとしているものは
クリームではなくてクレンジングでは?
と確かめる私、
それにしても クリームより先に化粧水だろう
と思いながら見ている私もいた。

夢はそこで途切れて…

まだまだ 次の日に続くのなら
やがて 元気な頃の母にも会えるかもしれない。

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*2003年 母73歳 初ひ孫を得た。

私は 第一子として
68年前に生まれた。
当時はひどく珍しかった 帝王切開で。

重い妊娠腎(妊娠中毒症)を患っていたからだが
少なくとも母はその時 命賭けだった。

「I was born.…」

吉野弘氏の詩の一節を想う。

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だから 60余年を経て
私は 母を見送る役目を負ったのかもしれない。

無条件に甘える相手は祖母であり
シーソーのバランスを取るかのように
母は厳しい教育ママで
いつもどこかで母を怖れていたから
甘えて寄りかかることすらなかったが
写真の中のごく幼い私は
確かに母の腕の中にいた。

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母が私にかけた思いは未だによくわからない。

だが
晩年の母の傍で過ごした五年の月日が
少しだけ 母に近づき触れる時間になったことは
確かな喜びである。


I was born on March 13th.
遅い梅が香るころである。