こんにちは!
はっちんです😊


2017年10月1日から11月19日まで切迫早産で入院していました。
その時に同じ切迫早産で入院している方や乗り越えて出産した方々のブログを読んで、とても励まされましたし参考になりました。
私の入院経験ももしかしたら微力ながら誰かのお役に立てるかもしれないと思い、入院日記を書くことにしました。


つづき、、、

強烈ホームシックにかかった私はもう毎日泣いていました。
長男は大丈夫だろうか、会いたいな、一緒にご飯食べたいな、一緒に寝たいなと考えては涙が出てくる。
お腹の赤ちゃんを無事に元気に産んであげられるのだろうか、この先私はどうなってしまうんだろうと不安で不安で、でもこの不安を誰にも言えなくて。


お腹は張り止めの点滴をしてもよく張りました。
入院していた産院は、検診でずっと通っていて分娩予約もしていました。

助産師さんみんな本当に優しくて、張ってしまうお腹を「大丈夫だよー大丈夫だよー赤ちゃんまだお腹にいてねー」と優しく撫でてくれたり、忙しいのに世間話しをしてくれたりしました。


入院6日目、先生がベットまで来てくれました。
でも深刻な顔をしています。

「この前のおりもの検査の結果が届きました。炎症反応と破水を起こす物質の数値が高いです。この数値が高いと2週間以内に出産になる可能性が70パーセントと言われています。そうなったらここでは出産できないので、転院になります。」

え?転院?

またまた頭が追いつきません。

2週間で産まれる可能性が70パーセント??


「ど、どこに?」

これだけ聞くので精一杯。

「これから探しますが、同じ市内では週数制限があり受け入れてもらえません。できるだけ近くを探しますね」
と先生。

市内の大学病院は妊娠32週からしか受け入れてくれないそう。

家族が会いに来られる距離かな。

私はどこに行くんだろう。

長男には会えるのかな。

不安でご飯も食べられませんでした。

夜に助産師さんが来てくれて、
今は30週過ぎれば命は大丈夫。
32週過ぎればほとんどの赤ちゃんが障がいも残らない。
35週過ぎれば呼吸も自分でできる。NICUにも入らなくて大丈夫。
36週過ぎれば一緒に退院できる。
と教えてくれました。

一緒に退院できることが遠い遠い奇跡のように感じました。

聞いてる間に我慢してたけど涙が止まらなくなってしまいました。

こんなことになってしまって本当にごめんなさいと思いました。家族に赤ちゃんに。

どうか元気にみんなに祝福されて産まれてきてほしい。

助産師さんは、大丈夫だよきっと戻って来られると励ましてくれました。
本当に優しく寄り添ってくれました。

それから2日後に転院先の病院が決まりました。

隣りの隣りの市の総合病院。


そこは私が産まれた病院でした。


つづく。