片柳で教鞭を執るっていた若山法一先生が出筆された『片柳のむかしを探る』という本を拝読させていただきました。
 
 
 
 
この本には旧片柳村に関する多くの資料やそれに基づく考察が記載されており、読んでいてとても勉強になります。
 
 
 
 
とくに片柳小学校に関する記載には、私も知らなかった事実や資料が記載されており、今回はその内容を頼りに、東新井(旧新井村)の鎮守であった「天満神社」にある、「学校敷地寄附記念碑」を拝見しに現地まで足を運びました。
 

 

 

 

 
 
明治初期、片柳村には二つの尋常小学校がありました。南中野正法院を仮用して設置された「片柳西尋常小学校」と、片柳沖郷祥厳寺を仮用して設置された「片柳東尋常小学校」です。
 
 
 
 
両校は寺を間借りしていることからも、教育施設としては決して最適な環境とは言えず、学校施設として独立校舎設置の必要性が議題となり、新たな校舎を建設することが村議会でも決議され、また新校舎設置に伴い両校を統合することも併せて決まりました。
 
 
 
 
そこで、新校舎設置のための新たな用地が必要となるわけですが、既に村役場があった東新井の地元の有志の方々が土地や資金を寄附をして下さり、現在の片柳小学校のある土地に「片柳尋常小学校」が設置されることになったのです。
 
 
 
 
この記念碑は、まさにそのような先人達の功績を後世に伝えるために設置されたものです。
 
 
 
 
大宮駅の白井助七翁しかり、現在、我々が享受している豊かさは、このように地域を想う先人達の献身的な行為によって成り立っています。一方で私たちは未来の子どもたちに対して、この地域に何を残すことができるのでしょうか。
 
 
 
 
少なくとも、都市計画や自由学区といった行政の政策により生徒数が減ってしまった、片柳小・中学校をしっかりと次世代へと繋いでいくことは、この地域で政治家をさせていただく上では避けては通れない使命であると改めて認識させていただきました。
 
 
 
 
 
引き続き、片柳小・中学校の持続可能を高めるためにも、市内で地元から唯一求められている義務教育学校の設置に向け取り組んでまいります。