先日、新聞報道でも話題となった「東京オリンピック競技大会に関する学校連携観戦チケットのキャンセルについて」の報告が文教委員会で行われ、オリンピック開催について賛成・反対の両方の立場の議員から教育委員会に対して疑問と批判の意見が続出しました。

 

 

 

理由は、今回のキャンセルに至るまでのプロセスのなかで、組織として感染症の専門家から助言を求めることもせず、生徒及び保護者の意向確認も怠り、丁寧な対応を欠いたこと。

 

 

 

また、決定に際しての明確な基準が最後まで示されず、科学的根拠はあったのかと確認するとマスコミ報道を参考としたという耳を疑う答弁を行い、科学的なエビデンスではなく世間の雰囲気に流され、とにかく批判を回避したいとしか受け取れない「事なかれ主義」な態度が浮き彫りとなったためです。

 

 

 

今回の最大の犠牲者は、この状況下でもオリンピックを観戦したいと楽しみにしていたにも関わらず、一生に一度のこの機会を奪われた子ども達です。

不安な声に寄り添う姿勢は重要であり理解できます。

一方でなぜ観戦を希望する中学生やその保護者の意見に関しては、全く耳を傾けていただけなかったのでしょうか。

 

 

 

今まで市教育委員会は今回のオリンピック観戦を学校教育に必要な機会と定義してこの事業を進めてきました。

しかし、なぜ生徒や保護者に意向の確認もぜず、一律にキャンセルを行ったのでしょうか。

 

 

 

選択の機会も与えずに、一部行きたくない行かせたくないという生徒・保護者がいたことで、行きたい行かせたいと思う生徒・保護者の意思を無視し巻き添えにして全て中止にする今回のやり方は、「欲しがりません勝つまでは」の全体主義そのものではないでしょうか。

 

 

 

しかも、現在さいたま市では、同じく学校教育に必要な機会と定義している修学旅行や林間学校に関しては、コロナ禍の特例として欠席することを認め、参加したい生徒は行く、参加したくない生徒は行かないという対応をとっています。

どうして、今回は修学旅行や林間学校と同じ対応ができなかったのでしょうか。

 

 

 

また科学的に言えば、集団による宿泊と飲食を伴う修学旅行や林間学校の方が、マスクをしてオリンピックを観戦していることよりも、よほど感染リスクは高いはずです。

 

 

 

ちなみに、川口市では事前に学校に参加の意思を確認してからチケットの確保、もしくはキャンセルを行いました。

これが丁寧な対応というのではないでしょうか。

なぜ、さいたま市の子ども達は選択の機会すら奪われなくてはならなかったのでしょうか。

 

 

 

これで、開催都市であるさいたま市の中学生は埼玉スタジアムでオリンピックを観戦できないのに、隣の川口市の中学生は観戦できるというなんとも馬鹿げた状況が作り出されてしまいました。

 

 

 

本当そのようなことが許されて良いのでしょうか。

 

 

 

しかも、今回の件でもっとも酷いのが、ただ中止を決断するという安易な判断のみを行い、奪われた機会に対する代替案を全く検討していなかったという事実です。

これには開いた口が塞がりませんでした。

 

 

 

私から早急に子ども達のために代替案を検討し議会に報告をすることを求め、ようやく代替案を検討しますとのお粗末な姿勢、これが本当に子ども達を一番に考えた対応と言えると思いますか?

 

 

 

子ども達の一生に一度きりの貴重な機会を事実と科学ではなく雰囲気で奪った市教育委員会の罪は重いと言わざるを得ません。

 

 

 

いつまでこのコロナ騒動で、子ども達が犠牲になり続けなくてはいけないのでしょうか。