こんにちは。
アラサーOLのケイです
三が日が明けて今日から仕事を再開されている方も多いかなと思いますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
私も今日から仕事再開なのですが、このお正月は能登半島の地震で混乱した日々を過ごすなど、いまいち休んだ気がしない正月休み明けです。
今回はの記事では能登半島地震で私の身の回りで起こったことについて記録として残したいと思います。
人的被害はありませんが、どう転んでも明るい内容にはならないので、連日の報道やSNSの騒ぎなどで精神的に追い詰められている方はここでブラウザを閉じていただければと思います。
私自身疲弊している面もありますが、ここで文章として残すことで重くなった気持ちごと吐き出せるんじゃないかと思ってこうやって書いています。
読んでいただける方はこのまま引続きお付き合いください。
地震発生当時の様子
地震が発生した1月1日の午後4時頃、帰省した地元の友人たちとお茶を飲んでいました。
本震発生の5分前にも地震はありましたが、なんか揺れたねえくらいの軽い認識。隣のテーブルの人たちが石川の方で地震があったらしいよ、なんて話していた気がします。
その後いきなり緊急地震速報がスマホからけたたましく鳴り響いたのです。
画面を確認したのも束の間、震度5の大きな揺れが襲ってきました。
咄嗟に出来た事といえばテーブルの上のコップが落ちないように抑えることくらい。
頭上で照明器具が激しく揺れていたことに恐怖を感じました。
すぐにお店の人が怪我の確認をしてくれてその場で待機するように言われました。
津波警報の発令
地震直後、夫からライン通話がかかってきたのでそれぞれの無事を確認していると、津波警報が発令されました。
車で迎えに行くと言われたものの、どれくらいで津波が来るか分からなかったのでお互い自分の身の安全は自分で確保しようということに。
店員さんからは待機するように言われたものの、津波から逃げるとなると一刻も早く行動しなければなりません。
お釣りは不要ということで現金と伝票だけ渡してお店を出ることにしました。
(店員さんはドリンクバー周りの割れたガラスの掃除をしており、恐らく津波警報が出ていることを知らない様子でした)
予想される津波の高さは3メートルだったのに対し現在の所在地は海岸から直線で3〜5キロほど。
外に出た時点であと5分くらいで到達との予想だったのでとても焦ったことを覚えています。
警報が出た当時はどこまで逃げれば安全か見当もつかず、頭の中では東日本大震災の津波の映像が頭をよぎりとりあえず早く道路に出て内陸を目指しました。
(友人1人が車で来ていたので、みんなで乗り合わせて移動)
元旦だったこともあり、大通りであっても車の数は比較的少なかった印象です。
見渡す限り平野なので高台の土地は無かったのですが、高速道路であれば津波の高さよりも高い位置に行けると思い見かけた高速道路のICに向かいました。
ところが高速道路は入場口が封鎖されていて、中に入ることは出来ませんでした。
(今考えれば大きな地震直後だったので安全確認が出来るまで入場停止は当然ですよね)
とはいえ他に高台が無さそうだったので、入場口付近の路肩に停止して待機することに。
私達が停めた時は車は数えるほどしかありませんでしたが、その後続々と車がやって来ました。
津波到達まで
結論から言うと私の住む地域では予想よりも津波の高さは低く、大きな被害はありませんでした。
だけど警報発令時はそんな事はわかりません。
なんなら東日本大震災の時は予想を上回る高さの津波が来たと言います。
近くの海岸は三陸のように入り組んだ形ではないので極端に予想よりも大きな津波は来ないだろうとは思いましたが、起こってみないと分かりません。
津波は何波か来る可能性があるうえ、最初よりも後に来た波の方が高いということもあり得ることから、いつまでそこに待機していたらいいのか分からず、そもそも本当にここは安全なのかということも含めて不安な時間を過ごしました。
終わりの見えない待機時間
待機している間車の中でテレビを点けながらスマホで身内や友人と安否確認の連絡を取っていました。
夫と実家の家族はそれぞれ近くの学校に避難したようでした。
一緒に車に乗っていた友人もみんな家族と連絡がつき、ちょっとホッとした空気に。
とりあえず警報が解除されるまでは待機がベストかと思いましたが、問題が発生。
ついさっきまでお茶をしていたこともあり、トイレに行きたくなってしまったんですよね…。
津波も第一波については1メートルを下回るくらいとのことで、現在地まで被害が来ることは無さそう。
だけど東日本大震災では、避難した人が物を取りに一旦家に帰ったことで津波に巻き込まれてしまった、なんて話もありました。
迷った末、地震発生から1時間ほど待機した後、大きな渋滞が発生していないようだったのでみんなの実家がある地元方面(方面的には内陸部)に向かうことにしました。
この時点で日は暮れており、他に避難に来た車もチラホラ他の場所に異動し始めていました。
それぞれの家族と合流
友人が運転してくれる車に乗ったまま地元地域へ向かいます。
この時普通の速度で運転していましたが、場所によっては倒木や道路の隆起、液状化している可能性もあるので慎重に運転したほうが良さそうです。
私は実家の家族が避難をしている近所の学校まで送ってもらい、無事に合流できました。
その後ほかの友人たちも順に実家まで送ってもらい、無事に家族と合流できたようです。
避難所について
先に着いていた家族の話では、地震発生後10分後には学校の避難所が開設されていたようです。
一方夫の避難した避難所は地震発生から20分以上経ってから開設されたとのこと。
恐らく近くに住む市役所職員の方が各所で即座に対応する形になっているのでバラつきがあるのかなと思います。(お正月なので飲酒してる方もいたでしょうし)
地元の避難所には若い人からお年寄りまでいろんな人が来ていました。
密にならないよう各階に分散して家族ごとに集まっていました。
暖房は点けておらず、直接床に座ると冷たさが伝わってくるような状況だったので各クラスの椅子を借ります。(それでも余裕で座りきれるような人数)
取り急ぎお手洗いを借りたのですが、手を洗う時になって水道が止まっていることに気が付きました。(トイレは貯水タンクに水が残っていたのか普通に流れた)
家族が持っていたアルコールティッシュで手を拭いた後しばらくすると、地元の消防団の方が来て地区内での被害の状況を報告してくれました。
石垣が崩れていたり、石灯籠が倒れてきたりして道路に一部影響が出ているよう。
この状況でも地域をパトロールしてくださった消防の方には大変感謝です。
夫と合流、帰宅
地震発生から1時間半ほど経過したあたりで夫が迎えに来てくれるとのことだったので、夫の避難所よりも私のいる避難所の方が内陸部にあることもあり、道路状況に注意しながら来てもらうことに。
渋滞もせず道路状況に大きな変化は無く、その後無事に合流できました。
しばらく私の家族と一緒に待機していましたが、人がぽつぽつと帰り始めているのを見て私達も帰ることを判断。
本当は津波警報が解除されるまでは残っていたほうが良いのでしょうけど、いつ解除されるかも分からず、到達している津波がその時点で予想を下回って低かったことから帰ることにしました。
帰る途中、寄りはしませんでしたがコンビニが営業している様子が印象に残っています。
家に着いたのは19時頃、地震発生から3時間近く経っていました。
家の状況
家の方は断水はしておらず、電気とガスも無事でした。
揺れの影響で一部の小物が倒れたりしていましたが、テレビなどの大物はそのままだったので被害という被害はありませんでした。
一方実家の方は断水しており、高い位置に置いてあった物が落ちてきたり壁のタイルが剥がれたりしていました。
まだ大きな揺れが起きる可能性があることや、古い家ということもあり、しばらくは比較的安全な部屋で寝るそうです。
地震のあった夜
地震のあった日の夜、大きな揺れが起こる可能性に備えて寝ることにしました。
寝る時はパジャマに加えて着る毛布を着用、厚手の靴下を履いて近くにはスリッパだけでなく歩きやすい靴を用意。
コートも玄関付近ではなく枕元に置き、両手が塞がらないカバンに水と薬、メガネ、タオル、モバイルバッテリー、ティッシュ、食料(アルフォート)を入れてすぐ手に取れるようにしました。
大きな揺れで家が歪んで扉が開かなくなったら困るので、家中の扉を開けておくことにしました。(ただし戸締まりは厳重に)
結果として何も起こりませんでしたが、不安な夜でも出来ることはやっておくことで多少安心して眠れたと思います。
妊娠中の地震で感じたこと
現在妊娠8ヶ月なんですが、地震が起きた直後から胎動が激しく、その後ストレスのせいかお腹が張りやすくなりました。
いつもはお腹が張っていれば胎動は大人しくなるのですが、地震発生から帰宅するまではずっと胎動が激しかったです。
すでに耳が聞こえるようになっていることから外の異様な空気を感じてザワついているのかもしれません。
胎動が激しい分には問題無いらしく、張りについては張り止めの頓服薬を処方してもらっているので、それを飲んで対処しています。
被災したら場合によっては走って逃げなくてはいけません。
だけど妊娠中は走ることは難しい。
当たり前ですが災害は配慮なんてしてくれません。
もっと被害のひどい地域で臨月を迎えていたり、陣痛が来ていた妊婦さんもいたと思います。
それは決して他人事ではないと思いました。
さいごに
今回は私が経験した地震は震度5と他の地域よりも揺れが少なく被害も小さなものでした。
だけどこれは結果論でしかなく、地震が起きた当時は何をするのが正解なのかよく分かりませんでした。
頭をよぎるのは東日本大震災の津波の光景。
あの地震はどこまで内陸まで津波が来ただろうか?
河川は何キロまで遡上した?
上陸後の津波の速度は?
確か熊本地震だと本震だと思った揺れは前震で、もっと大きな揺れが後から来たはず。
全部の対策をパニックした頭で考えるのは無理です。
スマホの充電も次いつできるか分からないですし、その場で調べる時間も命取りかもしれない。
だからこそ事前の備えと周囲の人との協力が必要だと強く感じました。
じゃあ今私にできることってなんでしょう?
とりあえずハザードマップを確認して、モバイルバッテリーはフル充電で持ち歩くことにしました。
しばらくは品薄で用意出来ないかもしれませんが、簡易的じゃない非常用持出袋を作りたいと思います。
あとは手持ちのメルペイポイントを募金に回して、日常を回すことも大事なんじゃないかなと思います。
心配の気持ちだけでは何も生み出すことは出来ません。
自分にやれることをやったら、あとは精一杯日常を過ごすことが回り回って誰かの助けになるんじゃないかなと思います。
被災された方はもちろん、そうでない方も連日の報道やSNSの騒ぎで心が疲れていると思います。
無理に笑顔で過ごす必要はありませんが、ずっと暗い気持ちでいたって良いことはきっと無いはず。
無理のない範囲で毎日過ごしていきましょう