ご相談
紙の辞書って使うべきでしょうか?
お答えします
「はい!」
胸を張って応援団バリに「ハイ!」……ア、応援団なら「オス!」ですかね?
問答無用に、紙の辞書も使いましょう。
「も」というところがポイント。
わかります、電子辞書を使いたくなるのも。あの重さと小ささに、今やいったいどれほどの辞書や事典たちが「封入」されていることでしょう。
大学の文学部でも、電子辞書は許容されているようです。
しかし、事は「学習環境」についてです。
ただ、英語のテキストや、古典が読めればよいだけの話ではありません。
先日お話しした、身体的論理。
身体的論理こそ、紙の辞書を使う大きな理由です。
「理解する」のではなく「つかむ」。これこそ、学習なんです。
電子辞書の目的は、一つの言葉と意味を見つけること。それ以外の目的や効果はゼロ。まったく見込めません。
しかし、紙の辞書には、当面の目的である意味調べ以外の効果が、それこそ無数にあります。
たとえば、前後の言葉の意味。
「練り歩く」を調べてみましょう。「練り歩く」の前後に「練り」「練り」「練り」がたくさんありますね。「練り歩く」「練り菓子」。「練馬大根」まで。
「へぇ」って思って、散策しながら意味調べができるのは、紙の辞書ならでは。
さらに、「ね」で始まる言葉が、「あ」から「ん」のどのあたりにあるのか、紙の辞書を使うことで体感的につかめます。
そして、言葉の成り立ちも、紙の辞書でつかめます。
フランス語で「historique」を調べてみましょう。名詞の「histoire」から副詞の「historiquement」、そして職業の「historien」、動詞化された「historier」まで、品詞変化がわかります。
辞書を引くことは体感的なもの。こうして言葉の「勘」が養われます。
難しい言葉が並んだ論説文を読んで、「まったくわからない」と嘆くのは、このような学習習慣がなかったのも一因でしょう。
さらに、紙の辞書には別の意味も。
紙の辞書はつかいこめばつかいこむほど、辞書への愛着ができてきます。物にも「魂」が宿ることに気づけるのも、また善哉ですね。
無料教育相談始めています。
「思考塾」のホームページ「https://shikoujuku.jp/」からお送りくださいね。
横浜のお寺でも月一で無料教育相談会を始めます(各回10組まで)。こちらの詳細もホームページまで。