「力のない正義は無力であり、正義のない力は暴圧である。
我々は、正義に力を与えることしかできなかった。なぜなら、力が正義に反して、正義は正しくなく、正しいのは自分だと言ったからだ」
« La justice sans la force est impuissante ; la force sans la justice est tyrannique. On n’a pu donner la force à la justice, parce que la force a contredit la justice et a dit qu’elle était injuste, et a dit que c’était elle qui était juste. »
さまざまな力があります。知力体力経済力、意志力や精神力。なんだったら妊活力なんてものありますよね。
でも、わたしたちが「力」というとき、多くは権力を指す場合が多い。
ここでパスカルのいう「力 force」も権力を指すと考える(もちろん、体力・腕力・知力・経済力なども意味するが)と、われわれにも理解しやすそうですね。
あなたにとって「力」とは、なにを指しますか?
わたしにとって「力」とは、行動力と判断力、この二つに尽きます。
「正しさ」を説明できる人間は行動した者だけ、なぜなら顔、汗、息遣いがその「正しさ」を保証するから。
だから、思想やら哲理やら、生き方を扱う人間が言えることは、ただ……
「やろう!」
これだけなんです。
「いっしょにやろう!」
これだけなんです。
そうじゃないと、恥知らずになってしまうんですよね。
「オレの言う通りにしろ」
こんなふうに、権威を傘に着る輩を、「虎の威を狩る」といいます。
そんな輩の言辞には、じゅうぶんに注意したほうがいいでしょう。
「正しいことをいっている」、往々にしてその背後には、自分の言葉ではなかく借り物の言葉があるからです。
もしかしたら、わたしがパスカルの言葉を借りているのも、自信のなさからくる権威依存かもしれない。あなたが「誰か」の言葉を借りているのも……。
そんなときは、実際に会って確かめ合いましょう。
今週土曜日には、浄智寺さんでの作文教室があります。
そして21日には龍源寺さんでの哲学教室(てらてつ)があります。
一緒に高め合いましょう。