取材をしながら、確信したこと。

それがこの「寺と町」。

 

コレこそ和尚たちに聞かなきゃならないことだ。

 

オレたちが聞きたいこと、それは……

立派な法話ではない。

地位とか肩書きではない。

 

聞きたいこと、見たいこと、味わいたいこと、それは……

和尚と町の関わり。

和尚の人々との関わり。

 

関わりの中でしか、人は生まれず、人は生きず、人は生かされない。

 

 

というワケで、建長寺教学部長の長尾和尚に話を聞きに行った。

 

 

取材内容を三つに分けて、紹介しよう。

 

修行前に

 

 私の寺、願成寺は、栃木県佐野市の山間部にあります。葛生原人で有名な町で、石灰と砕石を主産業にしていますが、人口はどんどん減少し、今は過疎地になっています。山間部ということで豊かな自然があるように思われますが、山を崩しているので、自然も減ってきています。

 町が衰え始め、お寺が荒れ始める様子を私は見てきました。だから、住職になろうとも思っていませんでした。

 しかし、高校を終わるころに、人生を賭ける値する問題ができていたんです。

 それは、檀家のおばあちゃんの一言、

「昔のお坊さんはね……」

 これがきっかけでした。

 お盆で檀家さん周りをしていた時でした。その年、自分から父親に、棚経を手伝わせて欲しいと申し出ていました。

 いま思い返すと、おばあちゃんはお坊さんたちを不甲斐なく思っていたんでしょう。

「昔のお坊さんは、いろんなことをしてくれた。勉強も教えてくれたし、悩みも聞いてくれた。法事だけじゃない、お寺ではお祭りもやっていたのを、あんた知ってる?映画も撮ったんだよ。地域のみんなが集まる場所だったんだよ」

 高校を卒業するころですから、1950年の話です。

 便利なものが、次から次へと出来つつありました。

 公的な相談窓口もできましたし、葬儀社や葬祭場が誕生し、お寺中心だった葬儀から、葬儀場中心のものへと変わっていきました。

 恵まれてくると、お寺に人が来なくなる。

 そして、近所付き合いもなくなる。

 そんな状況を、このおばあちゃんは、寂しく思っていたんでしょう。

 お坊さんたちへの非難だったかもしれません。「もっとしっかりしなさい!」と。

 しかし、それは私にとって、叱咤激励の言葉にもなりました。

 お坊さんって、やることがたくさんあるんだ。すごいことができる。お寺は、地域の中心といいますか、拠り所になれる、そんなことに気づきました。

「私はなにをやれるのか?」

 そんな問題を抱えながら、修行道場へ入ったのが、1954年のことでした。

 

 

 

 

いま、長尾和尚は建長寺に勤めておられます。