お寺は住職で決まる!

 

これまで多くの僧侶に突貫取材を決行した私の結論が、コレ。

 

嬉しいことに、石澤和尚も

「お寺は住職で決まる!」

と仰いました。

 

 

言い換えれば、生活を見てもらえる住職であるかどうか?

地域の人としっかり交流し、朝から晩まで、生活の模範となれる住職かどうか?

 

ココが決め手になると思います。

 

(ま、生活を見せられない和尚たちも(たくさん)いる、ということは内緒ですよ!ははは!あ、でもご心配なく!そんな僧侶を、ここで決して紹介しません!ガハハハ!)

 

和尚によりますと、布教とはなにも、教えを説くことばかりではない。

より大切なのは、人としての姿を見せること。

朝のお勤め、掃除、炊事、地域とのお付き合い、コレすべて布教だそうです。

 



 

そんな和尚のお寺は、地域の核になることでしょう。

長昌寺、悟心寺へお手伝いに来られる人たちは、檀家さんではなく、地域の人たちだそうです。つまり、宗教宗派は関係無い、ということです。

 

私にとっては、そのようなお寺は地域の学び場なのです。数学英語を教えるところではなく、

 

生き方を学ぶ(学び合う)場、

 

ですね。

 

 

 

学びには、人が欠かせません。

人、というのはもちろん、映像や書籍の中の人ではなく、生の人。

鼻毛も出ることもある、オラナを失敬してしまうこともある、肌がガサツイテイルこともある。決して、修正などしたり、盛ったりできない生の人。

 

そんな人が、ともに学び合う場には、

お寺が最適なんですよね。

 

さて、宗教という言葉にマイナスイメージがついて、随分経ちました。しかし、そのイメージを払拭できてはいません、むしろ、その捩れが定着してしまって、意識すらされなくなってきている。これを克服するのは、生半可な意志ではできません。

 

しかし、ここのところ、開かれたお寺が多くなってきました。

石澤和尚も、もっと開かれたお寺にしていきたいと仰います。

 

それも、みなさんと一緒に。

 

 

宗教が「理」としての本来の力を取り戻すのはいつになるでしょうか。楽しみですね。

 

 

今週日曜、午後3時からの「てらてつ!」、港区龍源寺さんです。

テーマは「一人前」。

無料です。

 

日本昔話を使って、哲学で遊びませんか?