「来年のNHK大河ドラマの主人公は、井伊直虎だ」
去年、歴史好き住職の義父から教えられた。
井伊……直虎?
ン?
と、思いながら、話を進めるために「誰?」は保留にした(それを知ったかぶりと言う)。
そんな直虎ゆかりのお寺が浜松にある。
浜松市内から井伊谷を通って、奥山へ…GO !
到着するのは方広寺。
方広寺は臨済宗方広寺派の大本山。
小童時代の自分にとっては、「大本山」なるものの魅力より、「さわがに」「大あんまき」「ドライブ」のほうがよほど強力で…
つまるところ、お参りに行く場ではなく、遊びに行く場だった(それでいいでしょ?と開き直ると恥ずかしいかしら…)。
さて、方広寺青年会のふれあい法話を謹んで聴いてきました(会場は方広寺とは別のところ)。
通底するテーマは白隠禅師です。今年は没後250年ですしね。
梶浦邦康和尚 浜松市方広寺派瑞雲寺ご住職
「消えないいのち」
中国、唐の時代に巌頭和尚という方がおられました。その和尚の死に様は、盗賊に襲われて殺されるという悲惨なものでした。
立派な和尚なのになぜ?
白隠禅師は疑問に思ったそうです。
そもそも仏門で修行しようと思ったきっかけが……
地獄の恐怖を克服できるか?
こんななまなましい現実からでした。
でも、巌頭和尚は、厳しい修行もされた立派な和尚。
でも、最期は…
この疑問を抱えていたある日、白隠禅師は突如、悟ります。
「巌頭和尚、豆息災!」
和尚は生きている!まめで元気でいまも生きている!
命は脈々と続いていることに気づかれたんですね。
これが白隠禅師の叫び。
みなさん、どうですか?
死んでもなお生き続けている、そんな人たち、僕にもいます。特に、突然亡くなってしまった友人、知人、先生、教え子は、僕の中にずっと生き続けています。
彼らの分も……というのは、自己弁護や同情ではなく、「本気」なんだと思います。
梶浦和尚は、さらに和尚が園長をしている瑞雲こども園の先生のエピソードもお話されました。
子供の心にも、しっかり命は映し出されているのですね。
むしろ、童心だからこそ?
そんなこと考えてしまいました。
伊藤弘陽和尚 湖西市東福寺ご住職
「情けは人のためならず」
「情けは人のためならず」
間違った使用例……
「ねぇ、あんた。オジさんからお金が借りられないかって相談があったんだけど」
「どこのオジさん?」
「お父さんのお兄さんよ、あの穀潰しの」
「あの穀潰しか!うちにも金ねーよって適当に嘘ついとけ。好い気になると手に負えんからな」
「そうだよね、情けは人のためならずって言うしね」
(実在の人物となんら関係ありません。大竹の創作です)
正しい使用例……
「殿!武田方に塩を送るとはまことでございますか!」
「うむ。いかがした」
「いやはや、敵自滅の好機になんという愚かな所業」
「そちは武士をなんと心得る。自滅を待つるが武士道か」
「さりとて…」
「いまこの援けはただ敵方のためのみに非ず。我のため、我が子孫のために必ずやなろう。そう心得よ」
謙信の武士道は、「敵に塩を送る」古事成語となり、わたしたちに「情けは人のためならず」の本意を伝えている。
(実在の人物と、これまたなんら関係ありません。大竹の創作です)
白隠禅師の『善悪種蒔鏡和讃』にも、「情けは人のためならず」があるそうです。
気になるのはこの続き。
「即ち、孫子(まごこ)のためとしれ」
「人によいことをすれば、巡り巡って自分に返ってくる」
そんな意味が「正しい」とされていますが、白隠禅師、さすがです。
自分に返ってくるなんてしみったれたことを言いません。
返ってくるのは、子の代、孫の代なんです。
さて、そんな「所業」、どのように確かめましょう?
そうなんです、確かめようがない。
つまり、白隠禅師は、見返りなんて求めるな、と仰っているんですね。
情けとは布施である。
伊藤和尚の言葉です。
布施で忘れてはいけないことが二つあるそうで…
一つ、「三輪(さんりん)」。布施をする人、布施をされる人、布施の事や物。
一つ、「空寂(くうじゃく)」。執着しない。
布施をしてやる。なんて思わない。
情けをかけられた、借りができた、と思わない。
なんか大変なもの(つまらないもの)もらってしまった、と思わない。
これが「三輪空寂」なんですね。
性分がちとせこい僕なんかは、借りをつくることが嫌い。
しばしば、名古屋人ってそんな人多くない?って聞かれますが、どうでしょ?
「借りを返す」は大事だと思っていますが、それを重荷にしてはいけないんでしょうね。
建仁僧堂にいらっしゃった時の遠鉢(えんぱつ)のエピソードもお話くださいました。
それはまた…後日。
↑富士川サービスエリア(下り)からの写真