「放課後の音符(キイノート)/山田詠美(新潮文庫)」

 

 

読了。

読んでいる途中で気付きました。……私、これ読むの初めてじゃないです(笑)初版は1988年。なんと28年前!文庫になってから読んだはずなので1990年代に読んだはず。まだまだ、うんと子供だった私には、少々刺激の強い作品でした(笑)それこそ、赤面しながら読んだ気がします。今は、なんとなく頬笑みながら読めてしまう。文体にあまり古くささみたいなものも感じないし(勿論、いささか表現に古さを感じてしまう部分もあるけれども)、私は、きちんとこの作品を「女子高生」だった時に読みたかったなあ、と思います。

 

女の子って、面倒くさくて、楽しい生き物だなあ。

 

当然のことながら、私の部屋には灰皿なんかないので、子供の頃から使っている安物の宝石箱を彼女に渡した。

「灰はここにね。吸い終わったら、ふたをしめておいてね。」

「素敵!! 宝石箱に煙草の灰を落とすなんて!! 大人と少女が微妙に混じり合ってるって感じね」

 (「放課後の音符/山田詠美」新潮文庫.P.65より)

このシーンはちょっとにやりとしてしまいました。だって素敵じゃないですか。宝石箱に煙草の灰を落とすなんて。私はもう「少女の自分」を随分と昔に置いてきてしまったけど、こういうのって素敵だなあ、と思うんです。背伸びしたり、なんとなくもがいたり、大人にもなりきれていないし、まるっきりの子供でもない。本当に「大人と少女が微妙に混じり合ってる」時期。ああ、なんでこの本をちゃんと「17歳」の時に読まなかったんだろう!

 

語り手である「私」は17歳。好きな人もいないし彼氏もいない。恋に憧れたりもするけれども、まだ本当の恋の意味も知らない。学校の友達は何か違う。好きな人の事を話したり、噂したり、なんだかとっても面倒くさい。そんな中でも、ちょっとまた違う子もいる。そういう子達は、愛する人がいたり、もういろんなことを経験したりしていても、別に自分から誰かに話したりもしない。

 

カナは、そういう話を、黙ってにこにこしながら聞いている。それでなければ、すぐにすっと立ち上がって、どこかに消えてしまう。決して、自分と自分の男の人たちのことを、吹聴したりはしないのだ。

 (同P.10)

かっこいいなあ。今でもこういう女の子はかっこいいと思う。「女の子」でなくなった今でも。私は女子校に通っていたからか、なんだか今も女子高生気質が抜けないというか。たまに同級生に会ったりしても、まだ学校の延長みたいで。当然、会話の内容はうんと変わったのですが。今はみんな自分の子供のことだったり、旦那さんのことだったり、嫁姑問題だったり(笑)でも、根底にある「女子高生気質」みたいなものは、あんまり変わりない気がします。

 

去年、久し振りに同級生とお茶をしに行った時に言われて驚いたことがありました。

 

「けいこちゃんて、『派手グループ所属』だったよね(笑)」

 

なんて。そんなつもりは全然なかったのだけど。思わず「うそ!?そうだった!?」なんて返事をしてしまったり(笑)確かに、時代はバブル期で、私は茶色く脱色した髪にパーマをかけて、短いスカートにルーズソックス、ピアスも開けていたし、派手なグループの子だと思われても仕方なかったかも……。

 

でも、私はうんと子供だったのです。精神的にも、肉体的にも、本当にうんと子供。だって、そんななりしていて、好きな男性とのハグすら出来ないんですもの(笑)照れちゃって(笑)17歳の私はきっと、恋も知らなかったし、いろんなものが分かっていなくて、色々と欠落していて……この本の語り手の「私」と同じ感じだったかも。

 

とてももどかしい感じで、胸がきゅんとなって、切なくて強い17歳の女の子たちの8編の短編集。どの物語もとても素敵でした。