オリジナルグリル
PANINIが作るパニーニ
ちなみに自分は何をしていたかというと、、
コーヒー販売。
飲食系はバイトでもやったことなかったから演奏するよりなんだかそっちの方がドキドキしたよ。
しかもいちいちドリップしてたから時間も微妙にかかっちゃうし。
待たせてる時間はミスったよな。
勉強。
以後また機会あるときの良い経験にもなりました。
一部のライブが終わった後、
ライブを聴いてくれてた高齢の女性に声をかけられた。
家が近くてたまたま通りすがり聴いてくれてたとのこと。
その方が話してくれたこと。
2011年の震災で実のお姉さんと離れ離れになったと。
音楽を聴いて、MCを聴いて姉を思い出したと。
文字にするととても悲しいだけの話に聞こえるかもしれない。
だけど実際は、
話を体感した感覚でいうとその方はとても前向きに、
お姉さんを思い出せることをどこか嬉しそうに僕に話してくれた。
最後に‘ライブありがとう。頑張って。’と言われた。
その瞬間、今回宮城に直接行けての意義をとても感じれた。
直接的な被害を被ってない側はどこか被災者や被災地の方に対し無意識に過剰な感情を抱いていたり、
復興ってものを必要以上に重く感じていたりするんじゃないかって。
果たしてそれは現状のリアルなのか?
実際現地に行ってみると街も人も想像してるものよりずっと前を向いてる。
もちろん時間によってそうなっていったものには違いない。
ただ、何となく腫れ物に触るような認識とかでは全くないと思った。
相手をおもんぱかる気持ちは何より大切。
無関心が一番よくない。
その上で、想像してるだけでもまた違う部分はあるのかなとも思う。
これはいくら言葉にしても伝えきれないこと。
直接接してみて感じられること。
一つだけ。
想像してるものと実際の感覚は結構違うんじゃないかと思った。
それだけ言いたい。
復興というテーマはこれからも続いてく。
人の悲しみは風化していってほしい。
一方で事実をちゃんと語り継いでいくことも大事。
必要以上に復興という言葉に重りをつけるべきではない。
復興というテーマで楽しいことをたくさんの人が考え行ってる。
現地の方達は一緒に楽しみたいと思ってる。
気軽に参加できるもの。
今後よりそういうものになっていく。
僕は直接の被災者じゃないから安易なことは言えない。
だからって目を逸らすことはない。
今回の体験で改めて今復興というものを考えてみた時、
ご老人に手を差し伸べるような、
そんな優しさ、労わり、関心、
そんな感覚がちょうどよいのではと、
そう感じています。
イベントの最後はみんなで線香花火に火を灯した。
想いを繋げよう。
音楽も同じ。
翌日はFMあおぞらさんにて生出演。
これまでも何度も言ってきたけど。
2011年3月11日のことは音楽人として僕にとっても大きなものだった。
いろんな影響があった。
音楽の価値とかエンタメの意味とかいっぱい考えた。
あの時たくさん考えたからある意味でこの数年コロナの状況になって、
ちょっとだけ免疫がついてたというか、
最初から音楽には意味があるものとして受け止めてた。
悔しさとか感謝とか希望とか、
勝手に僕の中で感じ続けてるものがある。
あの日自分の中で何かが変わって。
でもそのおかげで音楽が好きになれたような感覚がある。
これからも僕が音楽人である以上は3.11は勝手に意識して活動していく。
どんなに小さなことでも繋がってることがある。
今回初めて特別な日に東北の地で歌うことができた。
その喜びをまた活力にして。
無限のLOOPの中で。
<配信が開始される楽曲>
・アーティスト名:GLASS TOP
・楽曲(全10曲)
Call me
HUMAN RACE
Shall We Dance?
We can change
Welcome to the carnival
ヒカリノオト
ワンダフル
幸せのステップ
飛行アーク
風が読むストーリー