今村夏子はこの『むらさきのスカートの女』で芥川賞を受賞した。受賞会見では、「太宰治の『灯篭』という短編が好きなので、太宰治賞をいただいたときは嬉しかった。芥川の作品は、知りません。」と言って場内を笑わせていた。
2010年『あたらしい娘』で太宰治賞を受賞『こちらあみ子』と改題。
同作と新作中短編『ピクニック』を収めた「こちらあみ子」で2011年に三島由紀夫賞を受賞。
2017年『あひる』で河合隼雄物語賞、『星の子』野間文芸新人賞。
2019年に本書で芥川賞受賞。
『あひる』『星の子』の方がショッキングだと言う評もある中で、『むらさきのスカートの女』は、「『むりをしていない』『身の丈に合った』ものが書けた」と語った。
「くすくす笑いながら読めた」との声も多い。自分の日常に重ね合わせることのできる人が多かったということであろう。
さて、作品は、『むらさきのスカートの女』のことを何でも知っている『わたし』の語りで展開していく。時々遠くから見ているだけでは絶対に分かりそうもないことも、『わたし』は全部知っている。まるで『むらさきのスカートの女』の頭に付けたドライブレコーダーのように知っているのだ。
また、「つまり、何が言いたいのかといいうと、わたしはもうずいぶん長いこと、むらさきのスカートの女と友達になりたいと思っている」「むらさきのスカートの女と友達になりたい。でも、どうやって?」などの記述もあり、自称『黄色いカーディガンの女』は、四六時中『むらさきのスカートの女』を観察し、自分の知人との類似点を探したり、自分と比べて、町の人々に知ってもらっており、子供たちにも人気があると、その様子を述べている。
驚くのは、この『むらさきのスカートの女』が『わたし』と同じ会社に入ることになるのだが、突然『むらさきのスカートの女』の入った会社に『わたし』もいる、という感じもすることだ。
『わたし』が異常であり、『むらさきのスカートの女』は、何の変哲もない、職を転々としている一人のパート労働者で、上司にかわいがられて不倫をする、というような存在だ。
お話の世界は、いたって平凡だが、『むらさきのスカートの女』は、『わたし』すなわち、『黄色いカーディガンの女』にとっては空想上の『望ましい自分』なのではないか、と思って読むと2度目がさらに楽しめるという不思議な書である。
ちなみに、そのように読めるという選考委員の指摘に対し、今村氏は、受賞後の記者会見で、「そういういろいろな読み方をしていただけることは嬉しいことです」と述べ、そのような意図はなかったと語った。
冒頭から語り手が『ヘンな人間』という小説だと思って読んでいたが、『むらさきのスカートの女』が、語り手にとっての空想上の『望ましい自分』だとすると、この作品は「どんな人も孤独を癒すためにささやかな夢を抱いて現実を生きている」というメッセージで、『黄色いカーディガンの女』が主人公として最後の最後に浮上し、辻褄があった気がする、という面白い作品だ。