少女の初めての恋が悲劇を生んだという煽り文句と、なんとも印象的なポスターに惹かれて見に行ってきました。


ヨアキム・トリアー監督作品。叔父は「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のラース・フォン・トリアー。

ノルウェー映画は初めてかも…。

凍った湖の上を歩いていく幼い女の子と父親。氷の下には魚が泳ぐ姿が見える。湖を渡った岸の森で鹿を見つけ、息を潜める娘の横で、父親はライフルを構え、銃口を娘に向けそっと降ろすという意味深な映像の後、大学構内なのか、カメラは広場を俯瞰する。特に焦点を当てずに地上に近づきながら、徐々に1人の少女にフォーカスしていく。
田舎町から勉強のために都会へ出てきたテルマ。過干渉なほどにこまめに連絡を入れてくる両親。そんな彼女が図書館で癲癇の発作に襲われる。発作の原因を探る中で、彼女に幼い頃の記憶がないことや、死んだと思っていた祖母の存在が明らかになってくる。プールで声をかけてきたアンニャは積極的で奔放。戯れのようにテルマに触れて翻弄していくアンニャに惹かれていくテルマ。その合間に挟まれるカラスや蛇や虫たちの騒めき。厳格なキリスト教徒として育ったテルマが、抗いようもないアンニャへの思いを自覚した時、突然アンニャが姿を消す。精神的に追い詰められたテルマが故郷へ帰ったことで、テルマの封印された過去が明らかになっていく。

ここまできて、冒頭の父親の不審な行動の意味や、湖の下の魚達が伏線であったことが明らかになってくる。過干渉とも言える母親の行動の真意、父親の苦悩。

音楽も最小限にとどめることで、北欧の重苦しさとテルマの緊迫した心情が際立っているように思う。

ラストシーンも現実の前に一瞬の映像を挟むことで、テルマの予感なのか、彼女の願望が現実になっているのかという曖昧さを残している。その曖昧さが、見ている側には不安感を持たせたまま終わることになるので、映画の余韻としては効果的。

お婆さんのところに入り込んだ蛇や、合間合間に挟まれた生き物達の不穏な行動が何を表すのかが明らかにならないし、テルマが力を忘れていた理由等も描かれていなくて説明不足はあるけれど、不可解なものに対する怖れや嫌悪、思春期の強い欲望とそれに慄く不安定さはじわじわと伝わる。

ハリウッドでリメイクするとの話もあるそうだけど、厳格なキリスト教徒達と性にリベラルな人たちの混在する北欧の風土と、あの重苦しい灰色の空が醸し出す空気感がいいと思うんだけどなぁ。