「一度なら不幸な事故、しかし、2度、3度と続けば、そこに、何らかの意思が働いていると考えるのが自然である」という言葉は、ホームズの小説だったか、何かの推理ドラマだったか。

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ルイ・ドラックスは9年間の人生の中で、9回も死にそうな目に遭っている。生まれる時も難産で死ぬ目に遭い、その後毎年のように骨折、感電、食中毒、感染症…。ありとあらゆる危険が常に彼に付きまとう。ルイの9歳の誕生日に、両親と出かけたピクニック先で、彼は崖から転落し、全身骨折の上、意識不明の重体に陥る。なぜ彼はそんな災難に遭わねばならないのか。これは不幸な事故なのか?それとも悪意ある事件なのか?
映画は、ルイによって語られる回想、ルイを診断する小児科医のパスカルを中心とした現実世界、ルイに語りかける怪しげな怪物が誘う幻想の世界を行き来しながら、彼の9回目の不運な出来事の核心に迫って行く。
 
ラストでルイがなぜこのような状態に陥ったのかを知ることになるけれど、その解明のされ方はかなりご都合主義な展開。解明されないままの伏線もあったりする。
ただ、「僕って問題児だよね」と言いつつ、親にとって「いい子」であろうとするルイは切ない。親からの絶対の愛情を実感できない子どもの不安感や苦しみを、海に漂う姿や怪しげな怪物で描いていたのかな?と思う。
 
 
ここからネタバレ含みます。 
 
 
 
 
ラストに母親の犯行が、病気によるものと明かされるけれども、勘のいい人なら、途中から代理ミュンヒハウゼン症候群を思い浮かべるのではないかなぁ。母親ナタリーの、精神的に不安定な様子とか、辻褄の合わない言動とか、材料はいっぱいあるから。だから、なぜルイがこんなに危険な目に遭ってきたのかは理解できる。
けれども、なぜ昏睡状態のルイがパスカルの意識化に働きかけて警告文を書くことができたのか、なぜ自分を本当に愛してくれる父の言葉に逆らってしまったのか、なぜ昏睡状態から突然目覚めたのか…については解明されないままである。その部分は原作の小説には書かれているのだろうか…。
幻想の場面も中途半端な感じ。ルイをこのまま昏睡状態にしておきたいのか、現実世界に戻したいのか…。
自分大好きで、自分の欲求に忠実だったナタリーの行動にブレはなかったけれど、謎解きを主にしたかったのか、親子のつながりを主にしたかったのかってところではブレたかなぁという印象を受けた。
 
個人的には、父親のピーターが語る蝙蝠の寓話が心に刺さった(笑)
「よく笑い明るいメスと泣いてばかりのメス、オスは明るいメスを愛していたが、泣いているメスは自分がいれば幸せになるのではないかと考えた」
あれは男性の心理、いやもしかしたら真理?男性陣騙されすぎ(笑)
 
泣いているのが寂しさからならば、誰かが寄り添うことで幸せになることもあるだろうけれど、ナタリーの場合は自分に注目が集まること、人が自分に同情してくれることが目的だから際限がない。自分に同情が集まらなくなったら、その同情を集める対象を子どもに…。ナタリーにとってルイが天使だったのは、他者からの関心を齎してくれる救いの存在だったからなのか。そう思うとますますルイが不憫で仕方ない。