【教育虐待】「死んで欲しかった」教師の父に殴られながら勉強した女性が語る実態は?親はなぜ過剰な期待を子どもに押しつける?加害性を自覚するために必要なこと|#アベプラ《アベマで放送中》◆この放送のノーカット版はアベマで公開中!無料フル視聴▷https://abe.ma/3d75EMy【教育虐待】「死んで欲しかった」教師の父に殴られながら勉強した女性が語る実態は?親はなぜ過剰な期待を子どもに押しつける?加害性を自覚するために必要なこと|#アベプラ《アベマで放送中》ABEMA Prime3/22放...リンクyoutu.be


友人がこれ見た?って送ってきたけど、私の実家は殴りこそしなかったけど、殴られない以外は全て一緒。

私は性欲が強いのに、子供を産みたくないっていう矛盾に、とても罪悪感を持っていて、それが理由で、エロい時期と擬似エセクシャルになる時期とを交互に繰り返したり、擬似性同一性障害だったりしたけど、全ての原因はこれかも。

こういうのが虐待と認知され始めたのは、私の時代から見ると隔世の感がある。
私の時代は、こんなのは、先生や近所の人に言ったって、明らかに問題のある親(浮気して家に帰らない、パチ○カス、家に金を入れない、など)でない限り、立派なご両親に恵まれているのに何を言っている、両親に心配をかけないようにしなくちゃダメだ、と言われるだけだった。

でも、どの時代でも、こういう家ってのは必ずあった。
金属バット事件の一柳和也さん、今、どうしてるんだろうな?

ついでに言うと、イジメの問題も、今、小山田圭吾がオリンピックの開会式降ろされたけど、昔は、あれが当たり前で、被害者は声すら上げられなかったわけ。
学校はいじめた方をかばうから。
イジメがなかった事にした方が教師の地位や退職金が安泰だったからね。

家では教育虐待、学校ではイジメ、私は子供時代を一切思いだしたくない。
自分の子供時代を思い出す、子育てというものは、ひたすら恐怖だった。

そういう子供時代を過ごした人間って、そうでない人となかなか付き合っても続くのが難しい。

色んな事の発想が違う。
なんでそう思うの?って、教育虐待されていた方から、されていない側は、ああ、普通はそう思うんだって思うんだけど、されてない側から、されていた側の発想とか、その経過って見えないんじゃないかと思う。

で、それは、みんな違ってみんないい、的な対等な関係ではなく、されていた側からされていない側を見ると、すごく自然、エネルギッシュ、まぶしい、羨ましい、みたいな感じなのに、されてない側からされていた側を見た時というのはたぶん、なんでそんな風に思うの?、陰気、まわりくどい、考え過ぎ、みたいな。

で、少し付き合うと、やっぱり自分がそう見られてきて、そう思われる事自体が辛くて別れる。

同じようにされていた同士なら気持ちが分かり合えるかというと、最初はスッとわかり合えるんだけど、しばらくすると、絶対に険悪になる時期がやってくる。
されていた人というのは、自己肯定感が少ないから、それを奪い合うみたいな状況になりやすい。

あと、こう思うのは私だけかもしれないけど、されていた私から見て、されていた人(あくまで全ての人ではなく私が会った人という少数例です)というのは、親のしつけのまま息苦しい発想しかしない人か、そこから自由になりたいと望んでいる人でも、なんか、色んな事がすごく回りくどいし、しつこい。
愛情確認みたいなのも、すごくしつこい場合が多い。
なんか付き合う気になれないというか。

TKさんは、ずっと野球をやっていたというから、たぶん、勉強とかではないけど、運動部ならではのシゴキはたくさん通って来たと思う。

でも、私が嫌だと思うしつこい付き合い方にはならない人だからすごくいい。

お互いの思っている事や考え方について、くどくど確認作業をしなくても、Hしている時が楽しければ、なんか、向こうの色んな要素が好ましく感じる。

たぶん、子供が産まれて、可愛いと思えるのは、こうした感覚の先にあるものなんだろうな。