譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村 訳,昭和10年) 

384〜388頁

仏子よ、菩薩大士に無上最正のさとりに入る十種の海のごとき智慧がある。
十種とは何んであるか?
菩薩大士は無量の一切衆生海に入る。これを第一の智慧とする。
菩薩大士は一切の世界に入ってしかも妄りに分別しない。これを第二の智慧とする。
菩薩大士は一切の虚空海の無量・無礙なるを知って、あまねく十方一切の差別の世界の網に入る。これを第三の智慧とする。
菩薩大士はよく法界に入り、無礙に入り、不断に入り、不当に入り、無量に入り、不生に入り、不滅に入り、一切を知るに入る。これを第四の智慧とする。
菩薩大士は過去・未来・現在の諸佛菩薩・法師・声聞・縁覚、および一切の凡夫において集むるところの善根、既に集め、現に集め、当に集むべき善根、三世の諸仏の法を説きて一切衆生を訓練し、既に説き、現に説き、当に説くべきあらゆる善根を、彼の一切において皆ことごとく了知して、深く信じて随喜し、願楽し、修習して厭き足ることがない。これを第五の智慧とする。
菩薩大士は念々のうちに於いて過去世の不可説の劫に入り、一劫の中に或ひは百億の仏が出世し、或いは千億の仏が出世し、或いは百千億の仏が出世し、或いは無数、或いは無量、或いは無辺、或いは無等、或いは不可称、或いは不可思、或いは不可量、或いは不可説、或いは不可説不可説――数量を超えた諸仏が出世したもうを、及び、其等のほとけの道場の衆会の声聞や菩薩が法を説いて一切衆生を訓練するを、且つ、仏寿の長短、法住の久近、このような一切のことを皆ことごとく明かに見る。一劫に於ける如く、一切諸劫に於いても同様である。かの無仏の劫の中にもろもろの衆生があって、無上最正のさとりのために種(う)ゆるところの善根をも亦ことごとく了知し、並びに見仏の善根を種えたところの衆生が、未来の無量の諸仏に値いまつることの出来るのをも亦ことごとく了知する。このように過去の一切劫を観察して厭き足ることがない。これを第六の智慧とする。
菩薩摩訶薩は未来世に入って一切の劫を親察し、ある劫に仏のおわすを知り、ある劫に仏のおわさぬを知り、かの諸劫にそれぞれいくばくの仏がおわして出世したもうかを知り、世界と如来の名号との何んであるかを知り、また度したもう衆生の多少を知り、また如来の寿命の長短を知る。このように未来世の一切劫に入って分別し了知して厭き足ることがない。これを第七の智慧とする。
菩薩大士は現在世に入って十方一切の世界を観察し、無量・無辺の不可称不可説のもろもろの世界のなかの一切の如来が、家を捨てて道をまなび、道場におもむいて菩提樹のもとに吉祥草を敷いて坐り、魔の軍族を降伏して無上最正のさとりを成就し、起って人里に入り、天の宮殿にのぼって微妙の法を説き、正法輪を転じて無量の衆生を訓練し教化し、如来の量りなき自在神力を示現し、無上最正のさとりを付嘱し、乃至(ないし)、寿を捨てて無余涅槃したもうを見、如来の滅後、大衆あまねく会合して経蔵を結集し、正法を護持して久しく世に住せしめ、舎利のために無量の塔をおこし、種々に荘厳し、恭敬し、供養するを見る。また、かの世界のあらゆる衆生を見るに、仏に値い法を聞きて受持し、諷誦し、憶念し、思惟して慧解を増長する。このように観察してあまねく十方に行きわたり、しかも仏法において錯誤を生ずることがない。何んとなれば、菩薩大士は一切の如来は皆ことごとく夢の如きものと知って、而(しか)もよく一切の仏のみもとに詣でて恭敬し供養する。菩薩はそのとき自身に著せず、諸仏に著せず、世界に著せず、衆会に著せず、説法に著せず、劫数に著せずに、しかも仏を見、法を聞き、世界を観察し、もろもろの劫数に入って厭き足ることがない。これを第八の智慧とする。
菩薩大士は不可称不可説の劫において、一々の劫のうちに不可称不可説の無量の諸仏を供養し恭敬し、ここに没し、かしこに生じて、三界を出づることを示現し、もろもろの供養の具をもって諸仏・菩薩の大衆・声聞の僧を供養し、一々の如来の入滅の後は、無上の供具をもって舎利を供養し、ひろく大施を行じて一切衆生の意願を満たす。その行ずるところの大施は不可思議であって果報を求めない。衆生を哀愍し利益し摂取せんがために、不可称不可説の劫において一切諸仏を恭敬し供養しまつり、正法を護持し、衆生を化度し、無上最正のさとりを成就して、而(しか)も厭き足ることがない。これを第九の智慧とする。
菩薩大士はあらゆる仏のみもと、あらゆる菩薩のところ、あらゆる法師のもとに於いて、一向にもっぱら菩薩の説くところの法・菩薩の学するところの法・菩薩の教うるところの法・菩薩の修行の法・菩薩の清浄の法・菩薩の成熟の法・菩薩の訓練の法・菩薩の平等の法・菩薩の出離の法・菩薩の総持の法をもとめ、その法を得て受持し、読誦し、分別し、解説して厭き足ることなく、無量の衆生をして仏法の中において一切智と相応する心をおこして真実の相に入らしめ、無上最正のさとりに於いて不退転をえしめ、不可称不可説の劫において厭き足ることがない。これを第十の智慧とする。
仏子よ、これが菩薩大士の無上最正のさとりに入る十種の海のごとき智慧である。
もし菩薩大士がこの法に安住するならば、すなわち一切諸仏の此上(このうえ)なき智慧の大海を得るだろう。

(旧字体、旧仮名遣いは改めました)