譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村 訳,昭和10年) 

378〜381頁

仏子よ、菩薩大士は十種の無懈怠(むげたい)の心をおこす。
十種とは何んであるか?
一に菩薩大士は「自分はまさに一切の魔、およびその眷族を降伏し尽そう」と念じて無懈怠の心をおこす。
二に「法のごとく一切の外道を調伏しよう」と念じて無懈怠の心をおこす。
三に「深妙の法を説いて一切衆生を皆ことごとく歓喜せしめよう」と念じて無懈怠の心をおこす。
四に「一切の法界に等しきもろもろの波羅蜜を満足しよう」と念じて無懈怠の心をおこす。
五に「一切衆生をして一切の功徳蔵を積集し成満せしめよう」と念じて無懈怠の心をおこす。
六に「あらゆる如来の無上菩提は転(うた)たますます広大にして甚(はなは)だ成満しがたきを、自分はまさに菩薩の行を修めて余すことなく成就しよう」と念じて無懈怠の心をおこす。
七に「無上の法をもって一切衆生を教化し調伏してことごとく完成せしめよう」と念じて無懈怠の心をおこす。
八に「あらゆる世界を種々の異色をもって無量に荘厳し、しかして正覚を成就しよう」と念じて無懈怠の心をおこす。
九に「自分が菩薩の行を修めるとき、もし衆生が来て、自分の身体を求め、或いは手・足・耳・鼻・血・肉・骨・髄・妻・子・象・馬・国土を求めるならば、自分はこのようなものを皆ことごとく捨てて、乃至(ないし)、一念の悔心をも生ずることなく、悉(ことごと)くよく恵み施して、一切衆生を利益し安楽にし、しかも果報を求めず、大慈悲心を第一としよう」と念じて無懈怠の心をおこす。
十に菩薩大士は「三世のあらゆる一切の諸仏と、一切の仏法と、一切の衆生と、一切の国土と、一切の世間と、一切の三世と、一切の虚空界と、一切の法界と、一切の語言の施設界と、一切の寂滅涅槃界と――このような一切種々の諸法を、自分はまさに一念相応の慧を以ってことごとく知り、ことごとく悟り、ことごとく見、ことごとく証し、ことごとく修め、ことごとく断じよう。然(しか)もその中において分別なく、分別を離れ、種々の差別なく、功徳なく、境界なく、有にあらず、無にあらず、一にあらず、二にあらず、不二の智をもって一切の二を知り、無相の智をもって一切の相を知り、無分別の智をもって一切の分別を知り、無異の智をもって一切の異を知り、無差別の智をもって一切の差別を知り、無世間の智をもって一切の世間を知り、無世の智をもって一切の世を知り、無衆生の智をもって一切の衆生を知り、無執著の智をもって一切の執著を知り、無住処の智をもって一切の住処を知り、無雑染の智をもって一切の雑染を知り、無尽の智をもって一切の尽を知り、法界に等しき智慧をもって一切の世界にその身を示現し、一切の言音を離れたる智慧をもって一切の微妙なる言音を出生し、一性の智慧をもって無性の法を説き、一境の智慧をもって種々もろもろの異なる境界を示現し、不可説の諸法をさとる智慧をもって無量の大自在の神変を示現し、一切智地をさとる智慧をもって大自在の神変を顕現し、一切智の自在神変をもって一切衆生を教化し成就しよう」と念じて無懈怠の心をおこす。
仏子よ、これが菩薩大士のおこす十種の無懈怠の心である。もし菩薩大士がこの心に安住するならば、すなわち一切諸仏の此上(このうえ)なき無懈怠の法を得るだろう。

(旧字体、旧仮名遣いは改めました)