譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村 訳,昭和10年) 

315〜317頁


 その菩薩がたは皆ことごとく各十方から来集せられたのであって、一生ののちに無上のさとりを成就せられる方々であります。

 彼等はいずれもあらゆる菩薩の方便・智慧をまどかに成就し、たくみな方便をもつ衆生を調伏して、ことごとく菩薩の正法に安住せしめ、あらゆる世界を分別し了知し、明達せる解脱の境界を観察し、すでにあらゆる虚妄をのぞき、一切の妙行を欠けめなく成就し、よく衆生を摂取して深く無量のたくみな方便に入り、よく一切衆生の果報を知り、よく一切衆生の煩悩・諸根・境界・方便を知り、三世一切の諸仏の説きたもうところの文義をよく聞いて受持し、広く人のために説き、よく無量無辺の世間に入って、世間の法をはなれ、善くもろもろの有為の法の無二であることを解って居られます。

 彼等はまた、一念のうちにおいて一切のほとけの智慧をえ、念々のうちにおいて能く等正覚を成就することを示現し、一切衆生をして菩提心をおこして等正覚を成就せしめ、一衆生の境界に入ってよく一切衆生のこころの境界を知り、如来の地を捨てないで菩薩の身をあらわし、不退の一切智地をえて菩薩の行を捨つることなく、ふかく無行の智慧に入り、一切衆生のために無量無数劫に菩薩の行を修められる。げに無量無数劫にも値遇しがたいのは菩薩の宝であります。

 彼等はまた、浄らかな法輪を転じ、衆生を調伏してことごとく明浄の法眼をえしめ、三世のあらゆる清浄の行願を成就して居られる。彼等の具足せるかような無量無辺の功徳は、一切の諸仏が未来劫を尽して説きたもうとも説き尽すことが出来ない。

 その名を普賢菩薩・普正菩薩・普化菩薩・普慧菩薩・普眼菩薩・普光菩薩・普観菩薩・普照菩薩・普幢菩薩・普覚菩薩と申されます。