譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村 訳,昭和10年) 

306〜307頁

仏子よ、このような経典は、ただ不可思議のおしえを修むる菩薩大士、一向専心に菩提を求むるもののためにのみ、分別し解脱されるのであって、余の人々のためにせられない。なぜなら、この経はただ菩薩を除いて、他の一切衆生の手にはいらないから。
仏子よ、たとえば転輪聖王の有する七宝の如きものである。この宝に因るがゆえに、転輪聖王となることが出来る。ただ王の第一夫人の生むところの太子で、聖王の相を具足し成就せる者のほかに、世に一人としてこの七宝を持するに堪(た)うるものがない。仏子よ、もし転輪王の太子にそのような衆徳を具足したもののないときには、これらの宝は王の死後、おのずから消滅してしまう。
仏子よ、ただ如来法王のまことの子で、諸仏の種姓(すじょう)の家から生れ、如来の相のもろもろの善根を種(う)えた者を外にしては、誰人の手にもはいらないこの経もまた此(こ)のごとく、もしそのような真の仏子のいない場合には、おのずから消滅してしまう。なぜなら、あらゆる声聞・縁覚はこの経を聞かない。まして況(いわ)んや、彼等がこの経を受持し書写し、解説することのありうる道理がないから。ただ、よく身づから経巻を誦持し書写する菩薩大士は例外である。

(旧字体、旧仮名遣いは改めました)