譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村 訳,昭和10年) 

293〜294頁


仏子よ、菩薩大士はどんなふうに如来・応供・等正覚の転法輪を知見するかと云うに、

仏子よ、この菩薩大士は、如来は心の自在力をもって起すことなく、転ずることなくして、而も法輪を転じたもうと知見する、一切の法はつねに起ることがないと知るから。

三転をもって断ずべきを断じて法輪を転じたもうと知見する、一切の法は辺見を離れていると知るから。

欲の際と非際とを離れて法輪を転じたもうと知見する、一切法の虚空の際に入るから。

言説をはなれて言説したもうと知見する、一切法は説くことが出来ないと知るから。

究竟寂滅して法輪を転じたもうと知見する、一切法は涅槃の性であると知るから。

あらゆる文字とあらゆる言葉とをもって法輪を転じたもうと知見する、如来の音声は至らぬ処がないから。

声は響のようであると知って法輪を転じたもうと知見する、諸法の実性を了知するから。

一音のうちに一切の音をいだして法輪を転じたもうと知見する、畢竟して無主であるから。

遺すことなく尽すことなくして法輪を転じたもうと知見する、内・外に著することがないから。


(旧字体、旧仮名遣いは改めました)