譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村 訳,昭和10年) 

287〜288頁

『仏子よ、菩薩大士はどんなふうに如来・応供・等正覚の菩提を知見するかと云うに、仏子よ、この菩薩大士は如来の菩提を下のごとく知見する。すなわちそれは一切の義において観察する所なく、法において平等であって、疑惑する所なく、二なく相なく、行なく止なく、無量・無際で、二辺をはなれて中道に住し、あらゆる言語・文字を超絶し、一切衆生の心念の所行と、根性と、欲行と、煩悩と習気とを知る。一言でいえば、一念のうちにことごとく三世のあらゆる諸法を知る。
仏子よ、たとえば大海は一切衆生の色像をよく印現する。それゆえに大海を名づけて印という。
如来・応供・等正覚の菩提もまた此のごとく、菩提のうちに一切衆生の心念と諸根とを現出して、しかも何ものをも現出しない。それゆえに如来を一切覚と名づける。

(旧字体、旧仮名遣いは改めました)