譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村 訳,昭和10年) 

265〜266頁


また次に仏子よ、たとえば大海に光明熾然たる四種の大宝がある。この四種の大宝はその性、極めて猛熱であって、つねに百川の流注する水を飲縮し、よく大海の水をして定量をたもたしめる。

四種とは何であるか?

一を日蔵光明の大宝と名づけ、二を離潤光明の大宝と名づけ、三を火珠光明の大宝と名づけ、四を究竟無余光明の大宝と名づける。

仏子よ、もし大海のうちに、この四種の大宝がないならば、四域の天下の金剛囲山・ないし非想非非想処は、皆ことごとく漂没するだろう。

仏子よ、日蔵光明の大宝は、よく大海の水を変じてことごとく酪とし、離潤光明の大宝は、よく酪の海を変じてことごとく酥とし、火珠光明の大宝は、能(よ)くことごとく酥の海を燃焼し、究竟無余光明の大宝は、酥の海をとこしなえに焼きつくして余すことがない。

如来・応供・等正覚の海にも、また四種の智慧光明の摩尼の大宝があって、もろもろの菩薩を照し、彼等をして一切もろもろの行を具足し修習せしめ、ないし仏の平等の智慧を成就せしめる。

四種とは何であるか?

一に永くあらゆる不善の波浪をとどむる智光の大宝・二にあらゆる法愛をのぞく智光の大宝・三に大慧智光の大宝・四に如来と等しき無量の智光の大宝である。

仏子よ、かの菩薩大士が菩提を修習するとき、量りなき生死不善の波浪をおこす。一切の諸天、阿修羅等、能くことごとくこれを止むることが出来ない。

そのとき如来は「あらゆる不善の波浪をとどむる智光の大宝」をもって、菩薩を照曜し、不善の波浪をとこしなえに止息せしめ、堅固に無上の三昧に安住せしめる。また「あらゆる法愛をのぞく智光の大宝」をもってかの菩薩を照曜し、あらゆる三昧の捨てがたい味著を去って広大の神通をおこさしめる。また「大慧智光の大宝」をもってかの菩薩を照曜し、起すところの広大の神通をすてて大明の功用の行に住せしめる。また「如来と等しき無量の智慧の大宝」をもってかの菩薩を照曜し、起すところの大明功用の行をすて、乃至(ないし)、如来の平等地をえしめ、あらゆる功用を息めて余りあることなからしめる。

仏子よ、もし如来の四種の智光の大宝がないならば、ないし一人の菩薩も如来の地をうることの出来るわけがない。

仏子よ、これが如来・応供・等正覚のこころを知見する菩薩大士の第五の勝行である。


(旧字体、旧仮名遣いは改めました)