全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村 訳,昭和10年)
220〜221頁
たとえば重雲によって、よく大雨をそそぎ降らし、四種の風輪が生じて、よく三千世界をこしらえ、衆生のもろもろの善根と、菩薩の功徳のちからとに由って、三千世界がおこり、衆生のたぐいを安置する。
如来もまた此のごとく、因縁の法雲をもって、大智慧の風輪と、離垢清浄の意とをおこし、あらゆる諸仏のみもとにおいて、もろもろの善根をおさめ、回向(えこう)して衆生にあたえ、すみやかに等正覚を成じさす。
たとえば虚空のなかの雲雨を洪澍と名づけ、一切もろもろの世界に、それを受持するに堪うるものがない。
ただ三千大千世界がはじめて出来あがるとき、虚空界に依止する動かすべからざる風輪は例外である。
如来もまた此のごとく、はじめ等正覚を成就し、十方一切の世界に、法雨の大雨をそそぎ、それを勝れた法界に充満さすけれど、よく支持するものがない。ただ無量の功徳を成就せるもろもろの大菩薩は例外である。
たとえば空中に雲雨を生ずるけれども、無作であって造者なく、もとより従来する所もなければ帰趣する所もない。
如来もまた此のごとく、法雲は甘露の雨をふらすけれども、もとより従来する所もなければ帰趣する所もない。
一切もろもろの菩薩は、無量の行をならい修め、まさに教化を受くべき所にしたがって、ために正法を雨降らす。
たとえば大雲雨の、能(よ)くこれを数え知るものなく、ただ摩醯首羅のみ、能くことごとく分別して知る。
如来もまた此のごとく、無量の法雨を雨降らして、もろもろの仏国に充満さすけれども、能く数え知るものがない。
ただ無上の法王――あらゆる世界の主(ぬし)のみ、能くことごとく分別して知り、掌中のたからを観るがよう。
(旧字体、旧仮名遣いは改めました)