全譯『大方広佛華嚴經』巻上(江部鴨村 訳,昭和9年)

717〜720頁


 菩薩摩訶薩は種々の座をほどこし、或いは聖王の坐する獅子座をほどこす。その獅子座は瑠璃を足とし、金糸で織った柔かな妙衣をそのうえに敷き、あらゆる堅固香を焚きこめ、種々の上妙なる宝幢を建て、無量億の宝で荘厳し、白浄の宝網をそのうえに掛けわたし、金鈴の羅網がそよぎ動いて微妙のひびきを立て、百万億那由他の浄妙なる宝像をめぐらし、座は高くして且つ広く、清浄にいかめしく飾り立て、無量無数の衆生がよろこび観て飽くことがない。その座のうえに功(いさお)し天下を蓋(お)う自在の大王が坐するのである。王はその座に坐して、正法をもって国を治め、あえて違逆するものがない。種々の妙宝でその身を荘厳し、すぐれた青宝珠・すぐれた大青宝珠・勝蔵宝珠を身にまとい、明浄なること日のごとく、清涼なること月のごとく、衆星に荘厳されて海の勝宝・海の堅固幢のごとく、離垢明浄なる閻浮檀金の妙色の宝繒を冠り、あらゆる閻浮提の大力なる灌頂王の法をもってその頂に灌ぎ、功徳のちからを具え、大慈悲の主となって怨敵を降伏しあえてその命に違(たが)うものがない。菩薩摩訶薩はかくのごとき無量無数の転輪王となって法に自在をえ、まさしく国を治むるとき、上述のごとき種々の宝で飾り立てた座を、或いは正覚のもろもろの善知識、および賢聖の僧にほどこし、法を聞いてよろこび、法師に奉施し、父母、及びもろもろの尊重するもの、声聞・縁覚・一切の菩薩・乃至、始めて大乗の心をおこせるもの、及び、あらゆる諸仏の塔廟に供養し、或いは無量の貧窮のもの・下劣のものに施し、およそ欲求するものには皆これを給与する。座をほどこす時かくのごとく回向する「願わくばこの善根をもって一切衆生をして、菩提の座をえて自然にほとけの正法を覚悟せしめよう。願わくば一切衆生をして自在の座をえて、法の自在を欠けめなく成就し、もろもろの金剛山も破壊しがたいものとなって、よく悉くあらゆる諸魔を降伏せしめよう。願わくば一切衆生をして仏の自在なる獅子座をえて、あらゆる衆生が悦び観て飽くことなからしめよう。願わくば一切衆生をして不可称・不可説の浄らかに荘厳せる殊妙の座をえて、法の自在を成就してあまねく衆生を化せしめよう。願わくば一切衆生をして殊勝の座をえて三種の世間も破る能はざる所となり、広大の善根、および善根の具を皆ことごとく清浄ならしめよう。願わくば一切衆生をして広高の座をえて、不可称・不可説の世界に充満せる諸仏如来を無数の劫において讃歎するとも尽すこと能(あた)わざらしめよう。願わくば一切衆生をして大智者の座に坐して、一身をあらゆる法界に充満せしめよう。願わくば一切衆生をして不可思議の宝で荘厳せる座をえて、その本願にしたがい、請い求める衆生にひろく法施を開かしめよう。願わくば一切衆生をして皆ことごとく浄妙の法座に坐することをえて、不可説のもろもろの世界の中において如来の自在神力を顕現せしめよう。願わくば一切衆生をして一切宝の座・一切香の座・一切花の座・一切衣の座・一切鬘の座・一切摩尼宝の座・思議すべからざる浄き瑠璃の座・量なき不可説の世界の座・一切衆生を浄める荘厳の座・離諍の座をえ、これらの座のうえに坐して、如来の一切種智を覚悟し、諸佛の功徳の境界を示現せしめよう」と。これが菩薩摩訶薩の種々の座をほどこす時の善根回向であって、一切衆生をして著する所のない菩提の座をえて、自然にあらゆる仏法を覚悟せしめる。


(旧字体、旧仮名遣いは改めました)