全譯『大方広佛華嚴經』巻上(江部鴨村 訳,昭和9年)

715〜717頁


 菩薩摩訶薩は象宝をほどこす。その象宝は七支具足し、六瘤威満し、六牙雪のごとく、口浄きこと花のごとく、身体均衡し、毛色鮮白に、珍麗奇飾してその身を荘厳し、浄き妙宝の網をそのうえに覆い、種々の雑宝をもってその首を装飾し、光色照曜し、儀体安雅に、よく瞬息のあいだに万里を超歩し、猛気奔勇にして疲倦することがない。或いはまた馬宝をほどこす。その馬宝は形体殊妙にして毛色光沢を湛え、馬相具足して、天の宝馬のごとく、無量の珍宝をもってその身を荘厳し、神珠の明月に似たるを光耀とし、金鈴の宝網をそのうえに覆い、行くに奔駆せずして而も速かなること疾風にまさり、遠きを旅して疲れず、乗るもの安逸に、四方を巡遊して、乗り手のこころに背かない。――如上の宝乗を相手の欲するままに施す。或いは福田にほどこし、或いは尊重に献じ、或いは知識に貢(みつ)ぎ、或いは父母に奉り、或いは貧窮に給し、およそ求むる者には皆ことごとく之を与え、心大きく恵みほどこして吝惜する所なく、つねに愉悦を抱いてかつて悔恨の思いあることなく、大悲充満してよく大施を行じ、一向にもっぱら最も勝れた菩薩の功徳の生地をもとめ、直心にして清浄である。

 菩薩摩訶薩がそのような施しをするとき、かくのごとく善根回向する「願わくばこの善根をもって一切衆生をして人宝を成就し、菩薩の功徳を生じて大衆を荘厳せしめよう。願わくば一切衆生をして善法の車に乗って、随順してよく一切の仏法に至らしめよう。願わくば一切衆生をしてつねに大乗をもとめ、ほとけの無礙の智慧力の車をえて、光明あまねく照さしめよう。願わくば一切衆生をして勇猛の大いなる車に乗って、精進してもろもろの願いを満足せしめよう。願わくば一切衆生をして平等なる波羅蜜の車を具足して、あらゆる善根を成就し満足せしめよう。願わくば一切衆生をして宝の車を完成して、仏法の無上の智宝を生出せしめよう。願わくば一切衆生をして菩薩のいみじき荘厳の行を分別し、この妙なる車をえて三界を出で、あらゆる菩薩の三昧の花を開かしめよう。願わくば一切衆生をして無量無数の劫に、清らかに菩薩の行ずるところを修習し、無量の車に乗って、すみやかに諸法を解らしめよう。願わくば一切衆生をして大乗の宝車をほどこし、善き方便をもって菩薩の地を具(そな)えしめよう。願わくば一切衆生をしていとも高広安穏なる大車を成就して、一切衆生を能くことごとく運載して仏道に至らしめよう」と。これが菩薩摩訶薩の無量無数の劫に象・馬の車をほどこす時の善根回向であって、一切衆生をして無礙智の車に乗って、如来の究竟の宝車に至ることを得しめる。