アメブロさんの投稿ネタ『停電した経験』。
子供の頃―――昭和40年代は、停電が頻繁にあったように記憶しています。
停電に備えて、懐中電灯や蝋燭を常備していました。
トイレは、当時まだトイレットペーパーというものがなくて、落とし紙を使っていましたが、祖母は柔らかい縮緬紙をやぐら型の木の塵紙入れに入れてトイレに置いていました。
その塵紙入れを置いている台には、停電時に使う蝋燭のロウのあとがいつもついていて、それを爪で削るのが楽しかったものです。
通常の停電も今より多かったのですが、我が家では祖母が雷が鳴るたびにブレイカーを落とすので、よそのお宅よりも停電状態が頻繁にありました。
祖母は、戦時中に使っていたラジオや蓋に方位磁針のついた金属の古い水筒を常に用意していました。
防空頭巾も新しいものを手作りしていて、わたしのための子供用防空頭巾(いまは防災頭巾と言いますが、当時はまだ防空頭巾という言葉が残っていました)もありました。
真夏でもすぐブレイカーを落とすので、扇風機すらかけられないことが多かったのですが、祖母は毎日冷凍庫で大きな氷を作っていて、それを割っては水と一緒に洗面器に入れ、その氷水で手拭いを絞って顔や体を拭くことで暑さを凌いでいました。
近年の暑さは、そんなもんじゃ耐えられそうにないけれど、昔はそうやって氷水を使いながら団扇であおいで、どうにかなったもんです。
見たいテレビが見れない不自由さもありましたが、そもそも当時はテレビ番組もよく放送トラブルがあって、「しばらくお待ちください」なんて、画像がストップしてしまうことも多かったんですよね。
今はテレビも含めて通信トラブルがあると大ごとですが、昔は通信に頼るものってテレビとイエ電くらいで、停電や通信トラブルがあっても、わりと悠長に構えていた気がします。
なんだかんだで、停電の夜はどことなく情緒があって好きでした。
今は、春夏秋冬、朝昼晩の区別もなく、いつでもどこでも電気が通っていて当たり前、ネットが通じて当たり前、わたしなんて思いきりそれに頼り切っていますが、わずか50年前のあのゆったりした時間の流れが懐かしかったりもします。
停電は滅多にないけれど、たまには電気を消してスマホも閉じて、静かに過ごす夜があってもいいなあ。