時と場合で使い分ける心の引き出し

人間は好むと好まざるとにかかわらず、様々なコミュニティに属しているわけだけれども、そのそれぞれで、自分の中の違う引き出しを開ける必要がある気がする。

いや、大袈裟な話ではなくて、たとえば―――、あ、ここの「例えば」ではなく「譬えば(喩えば)で受け取っていただきたい。

わたしはしばしば「喩えば・・・・・・」という話をするのだが、これが「例えば」と勘違いされることが非常に多く、誤解を受けることがあるのだ。

で、「喩えば」の話。

あるグループで集まる時は、自然と野球の話が多くなったり、またあるグループで集まる時はテレビドラマ、別のグループでは料理やその他の家事の話、また別のところでは時事ネタ、といった具合だ。

もちろん、そればっかり、というわけではないが、主にグループ内での話題のカラーというものは自然にできてくるように思う。

同じグループでも、メンバーが多少入れ替わるだけで、ちょっといつもと違う感じのトークになったりということもある。

普段、芸能ネタでしか話さないグループで、たった1人増えたり減ったりした拍子に、たまたま介護の話が出てきたりすることもあるんじゃなかろうか。

誰しも、沢山の引き出しを持っていて、自分の属するコミュニティのカラーに合わせて自然に適した引き出しを開けているのだと思う。



会話で引き出しをうまく活用できるか

わたしは、相手やその場に合わせて引き出しを開けることはそこそこできるが、最初に自分から引き出しを開けて提示して見せることは少ない。

どれを開ければいいのか分からないのだ。

引き出しと言っても、満タンに詰まった引き出しもあれば、スカスカの引き出しもある。

満タンの引き出しで勝負したいところだが、はて、このコミュニティでこの引き出しはどうだろうか、とためらいが出る。

こんな引き出し、そもそもみんな「要らない」と思って断捨離してしまったような引き出しなのでは?

話題として成立しないかも・・・・・・、などと思う。

自分の大好きなものが詰まった引き出しを開けて見せて、誰も食い付かず見向きもされないのでは切ない。

それで、無難そうな引き出しを選ぶ。

実は自分のそれは結構スカスカだったりするのだが、汎用性だけは高そうだからとそのスカスカの引き出しを開けてみせる。

なるほど周囲の食いつきはよくて話が盛り上がるが、わたし自身はあっという間に引き出しが空っぽになって話題から取り残される。

ああ、引き出しのチョイスを誤ったかな、と思うが仕方がない。

そんなわけだから、自分で引き出しの提示をすることはあまりない。

周囲が提示してくれた話題にそった引き出しを、そっと開けて応対する。

全くの空っぽということはなく、わずかでも何かしら入っていることが多いから、それで対応する。

けれども、スカスカの引き出しではやっぱり話についていけないこともある。

しかも、わたしの引き出しは、あまりきちんと整理されていない。

雑多なものがいっしょくたに詰め込まれていたりするから、出す時もこんがらがる。

「は?😒 いま、それ言う?」という顔をされるから、いや、なんでもない、黙っておこう、となる。

一対一だと相手がある程度の度量を見せてくれるが、複数人になると難しい。

なので、積極的に引き出しのものを取り出すことが出来なくなる。

なるべく会話の進行を妨げないようにする。

会話の流れの中で時折、あ、そこ、わたしの体験談入れていい?と思うが、適切かどうか分からないので黙って聴いている。

すると別の誰かが、わたしが話そうとしていたようなことを話したりするので、ああ、それ出していいやつだったんだ? むしろ、わたしの引き出しの方が充実してたのに〜💦と口惜しく思うが、後出しは嫌な顔をされることが少なくないので、神妙に拝聴することになるのだ。



話せないから書く

わたしの引き出しは、わりあいどれも中途半端だ。

知識経験も中途半端で、思いだけが詰まっていたりする。

おまけに雑多なものも混入してグチャグチャなので、なかなかリアルタイムでは披露できない。

それでも、しまっておくだけでは腐敗が進みそうで、だから「書く」

リアルタイムで喋る場合と違って、書く場合はある程度の取捨選択をしながら引き出すことができる。

聞いて欲しい、知って欲しい気持ちは人並みにあるから、喋れない分、書く。

SNS中毒だと思う。

誰か聞いて、誰かわたしのことを知って、と自分の中の何かが訴えてるのかもしれない。

リアルでは誰もわたしに興味はないから、わざわざわたしの近況を尋ねてくれる人もいない。

自分から話すスキルもないし、仮に尋ねられても上手く喋れる自信がないので、せめて書き留める。

読んで欲しいというよりは、自分のためにその時の気分を書き残す。

せめて自分が、その時の気持ちを覚えていてやるために書き留めている。

読んでくれる人は、読むだけでお腹いっぱいだろうから、それ以上関心を持ってくれることもない。

書けば書くほど、他者からわたしへの関心は薄くなるのかもしれないが、自分だけは関心を持って受け止めてやろうと思うから、引き出しの中身も、時々虫干ししたり整理整頓したりする。

この歳になるともう箪笥を新調する必要もないから、引き出しを開けたり閉めたり、中身を移動させたり、ちょっと断捨離して、少し新しいものを詰めたり、そんなことをする。

なるべく新しいものを出しやすくして、やっぱり属するコミュニティに応じてそれを取り出して応対する。


引き出しの中がカビてしまわないように、引き出しを空っぽにしてしまわないように、ひとり黙々と出し入れを繰り返している。