1996年の葉桜
「すっかり葉桜になってきましたね」
ねねの散歩の時に時々出会う、アプリコットカラーのプードルちゃんを連れた奥さんが、今朝そうおっしゃった。
丁度、公園の裏手の桜の脇を通った時のことだ。
この葉桜の季節もわたしは結構好きで、そうだ、ちょうど今朝書いたアルフィーのコンサート、これは1996年の4/17だったんだが、あの日の葉桜は今も忘れることができない。
当時飼っていた犬が16才で死んだ日で、つらくて悲しくてどうしようもなかったが、ライブのチケットをとっていたし、愛犬の喪に服して行かないというのも何か違う気がする。
正直気分を変えたいというのもあって、神戸まで出かけて行ったのだ。
よく晴れた日だった。
高見沢氏の42歳の誕生日で、街には花と若葉が半分ずつの葉桜がそこかしこに見られた。
阪神淡路大震災の翌年のことだったので、確かチャリティー的な意味合いもあったコンサートではなかったろうか。
まだコンサートどころではない神戸市民のファンを差し置いて、のこのこ大阪から出かけて行ってライブを楽しむことに少しの抵抗もあったが、他府県から訪れて経済効果をもたらすというのも、ある意味大切なことなのだと自分を宥めたりもした。
高見沢氏42歳。
坂崎氏も直前に42歳を迎えていて、早生まれの桜井氏は41歳だ。
わたしは29才だった。
蘭丸――揺れる瞳
葉桜といえば、もうひとつ思い出すのが、青池保子先生の『イブの息子たち』だ。
葉桜が登場する漫画などほかにいくらでもあるのだろうが、わたしが思い出すのは毎年これと決まっている。
『イブの息子たち』はもう50年近くも前の作品だ。
わたしは青池先生の『エロイカより愛をこめて』もずいぶん好きで、おそらくこちらのほうが知名度は高いだろう。
けれども、わたし個人としては、実は『イブの息子たち』のほうが大好きだ。
若い漫画家さんならではなら発想力や瞬発力のようなものがあったと思う。
基本的にコメディなのだが、古今東西の歴史上人物が多数出てくるので、この作品で覚えた偉人も多い。
素晴らしい偉業を成し遂げた歴史上の人物をコメディ漫画で覚えたのは、その後、歴史を学ぶうえで、敷居が低くなってよかったなと今でも思う🤣。
高杉晋作も諸葛孔明もシェークスピアもマホメッドもアレキサンダーも、いまだに名前を聞いて浮かぶ顔が青池先生の絵だったりするから面白い。
もちろん、史実の彼らと漫画の中の彼らは、かけ離れたキャラ設定だったりするのだが、そのくせどこか納得できてしまうのも面白い。
その『イブの息子たち』に登場した森蘭丸。
「揺れる眼差し」で男を虜にするなかなかの小悪魔だが、この蘭丸がヤマトタケルに桜の枝を差し出す場面があった。
もう葉桜になりかけていますが・・・・・・と渡そうとして、いや、あなたには桜より竹が似合うと聞いた、と引っ込めるのだ。
コメディの中で、時々しっとりした場面が出てくると、なんだかそこだけが印象に残ったりする。
花のごとき色香で悩殺する蘭丸と、真っ直ぐ伸びる竹のような潔さを持ったヤマトタケルの対比がいい。
桜の花の終わりが近づくと、いまでも蘭丸の揺れる瞳を思い出す。
もう葉桜になりかけている・・・・・・、とそう感じた瞬間、記憶が『イブの息子たち』のパラレルワールドへ飛ぶから不思議だ。
散り際の少し疲れた色の花びらと、ツヤツヤした若葉の混在した桜は風情があるが、見ているうちに桜餅が食べたくなるわたしは、やっぱり花より団子、色気より食い気だなと思う。