纒向日代宮(まきむくのひしろのみや)伝承地と相撲神社 | 神社って面白いやん!つんつらぽっぽと行こう

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神社の起源から、今に至るまで・・・少し知識を得て神社めぐりをしよう!

この四つ角を今度は右に折れて相撲神社と書かれている看板の方向に少し

進む(東進)と、道が狭くなったところ左側に纒向日代宮伝承地があります。

古事記では、


大帶日子淤斯呂和氣天皇、坐纒向之日代宮、治天下也。


「大帯日子淤斯呂和気天皇(おおたらしひこおしろわけすめらみこと=

景行天皇)は纒向の日代宮(ひしろのみや)で天下をお治めになりました。」


すなわち、第12代景行天皇のお宮があったとされるところです。さすがに

伝承地であって廻りには畑が広がっているだけです。説明板には、景行天皇の

ことが書かれているのかと思えば、息子の倭猛命のことが書かれています。

よっ!美男子!イケメン!


さらに山のほうに進むと、右側に相撲神社があります。どうも新しい神社の

ようで正式名も相撲神社・・・ご祭神は、あの出雲の野見宿禰!


桜井市のホームページには、「社殿は無く」となっていますが、一間社春日造の

社殿が建てられています。また、土俵もあるのですが、通常はシートで覆われて

います。案内説明によると場所が「カタヤケシ」と書かれているのですが、

そんな地名なんて日本書紀に出てこないのですが、、、?


まぁ垂仁天皇の前で相撲(天覧相撲)をやったと言う事で、珠城宮に近いことも

ありうなずいておきます。


※参考 桜井市ホームページ「相撲神社」



※写真上は、纒向日代宮伝承地 2016/05/23
※写真中は、相撲神社の本殿 2016/05/23
※写真中の下は、相撲神社境内にある土俵(シートで覆われている) 2016/05/23
※写真下は、相撲神社境内にある、お相撲さんの石像 2016/05/23
※写真下の下は、野見宿禰の石碑 2016/05/23