今日の朝日新聞には社会面で「被害者 「我々ではなく 国が謝罪を」と同じ紙面で「中1自殺 担任が原因」と題し旧優生保護法と奄美大島市で起きた中1学生の自殺事件についての報道があった。どちらも権力を持つ側が謝罪をしなくてはならない事件だが、紙面の末尾には権力側が不適切な対応をしたために被害者の人生を不可逆的な方向に向かわせたと言う点において、同一の問題であったような気がする。権力は自分の方向性が誤っていないかどうかいつも自らが検証する立場にあると思う。しかし、新自由的な発想をしている権力は「自分達は絶対に正しい」と思わないと行使できないのだろう。その暴走に対して「立ち止まって考える」と言う発想を何処かにおき忘れがちなのだと思う。そこでブレーキをかけるのは主権者なのだと思う。そのブレーキたる主権者が全く機能しなければ、暴走が加速され、遂には亡国の憂き目になるのではないか。改めて私達がブレーキを掛け、立ち止まって考えさせる時期に来ていると思う。