7年前の空/emaが日々くれてるもの | GO GO SMILE :)

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▷複雑な家庭育ちでもいつも笑ってる▷家族は凶暴さんと厳格さん▷毎日の一番の原動力はずっと前から大好きな人(ema)▷同世代と比べてたぶん個性的▷スポーツ大好き▷厳格さんの病後の話も▷自分も鬱と闘い中▷より個人的な記事は限定記事にて▷2024.12.22start!!

7年前の今日、自分は家の用事で

今emaが住んでる県に行ってた。





当時から、家の用事でたまに
その県に行く機会はあったし、

個人的にも好きな場所ではあった。


だから、その町に用事で行ける時は
嬉しかったし、もう今はそのデジカメが
壊れてしまって手元にはないけど

当時はその町で写真も沢山撮ってた。

(スマホで撮ることはほぼなかったから
この写真が残ってるのはすごい)


7年前の自分が何を考えて
何を思ってたのか、手帳とかの
日記は置いてあるけど
それだけで全ては思い出せない。


それでも、基本的な好きなことや
自分の生き方の芯は変わらなくても

7年前と今で一番大きく違うのは
emaを恋愛の意味で好きなこと

というのははっきり分かる。


7年前は、その県に行っても
「自分が好きな町に
家の用事でも行けて嬉しい」
という思いだけというか、

今その県に行くとemaがいつも
暮らしてる町という特別な気持ちで
空から風から空気から水から何から
全てほんの少しも残さず心に
取り入れよう、くらいの想いがあるけど

当時は今とは全然違ったな‥。


自分は他人と知り合いになることや
知人と友達になることは得意でも、

恋愛になるとものすごく身構えて
よっぽど好きと思えなければ
決して心を支配されることもなかった。


根底に“人は信じられない”というのが
ずっとあったから、いつも誰とでも
密かに心には一定の距離を保ったまま

ただ建前では人間関係を
うまくやってきた(つもり)。


emaを好きになれたから
ここは直していかないとなと
改めて思った自分の欠点もあったし
(それこそ過度に人間不信なところも)

育つ過程では親と個性が違いすぎて
否定されたり疎ましそうにされた部分も

親にとっては都合が悪かっただけで
人として批判されるようなことでは
ないよなあと気づけたりもしたし、

自分なりに長所は伸ばして
短所は直す努力をしていって

7年前に比べたら今の方が
自分を少しずつでも認められて
好きになりつつある。


無条件に愛された経験がないから
これまでならすごくひどい態度を
取られたり傷つくことをされても

「自分は昔からそんな感じ」と
慣れたふりして心のスイッチを
オフにして生きてきたけど、

本来はどんな育ち方をしてても皆が
命は重いし大切な存在という考えに
やっとたどり着けた。

(今でも、幸せな家族育ちのemaと
複雑な環境育ちの自分はどんなに
頑張っても釣り合わないのかなと
悩んでしまうことは沢山あるけど)


emaを好きになったからという
理由だけではなくて、自分のこの先の
人生を考えた上で、いくら育ちが
複雑でもそれを理由に将来もずっと

それを言い訳に幸せになることを
諦めて本当にそれでいいのか?とか

全て親や周りの価値観に自分が
無理やり息苦しいほどしんどくても
合わせて我慢するのが本当に
自分が望んだ幸せなのか?という

自問自答をして、自分に課された
責任を全て投げ出すことはできなくても

人生丸ごと棒に振るような生き方は
もうしたくないなと思うようになった。


物心ついた時から、常に周りの顔色を
うかがって自分の喜怒哀楽を抑えて
過ごすのが当たり前でそうあるべき
という家庭に育ってきた自分は、

学校のごく一部では本来の自分の
キャラクターのままで過ごすことも
あったけど、ほぼほぼいつも

かなり厳しく色んな意味で
ガチガチに制約がある環境にいた。


だから、emaがいつも天真爛漫に
のびのびと振る舞う姿を見て
すごく温かい家庭に育ったのが
もう見てればすぐ伝わってきたし、

人としてみずみずしい感性を
持ってるemaとロボットのように
生きてきた自分は隣にいても
きっと育ちが釣り合わないと
本当にこれまで数え切れないほど
悩んでもきたけど、

emaとは似たところも沢山あって
「もし温かい家庭に生まれてたら
自分もこんなふうに育ってたかも」と
思うことも同じように沢山ある。


いくら見た目や雰囲気が似てても、
育った環境や心の土台の頑丈さは
どんなに今から頑張ったって
変えられはしないけど、

それでも沢山似たところがあって
共通項もあるemaが隣で心から
楽しそうに笑って過ごしてる時、

自分も心底救われる気がしてる。



目に見えることだけでなく
見えない部分でもemaは
自分の人生の中に色んな宝物を
本当に沢山くれてると思う。


7年前の写真を見て
この空をもし今見たとしたら
当時の何十倍何百倍深い想いで
見るのかなと思ったし、

本当はもっと会いたいけど
会えない時間も自分はemaが
くれたものの中でそれに支えられて
生きてるというのを実感してる。




そして、矛盾したような
話になってしまうけど、

そうやって感謝しながらも
距離的に前より会えるはずが
実際にはなかなか会えない
ということに焦りも感じてる。



この家では最大11ヶ月先までの
予定がもう入ってる。


凶暴さんが先に「この日はこれ」

と予定を入れたらもうその日は

凶暴さんの予定が通る日。



もうずっと先までの予定が

いくつも入ってる。



自分がemaと会える日は

ちゃんと入れられるのか

正直とても不安な気持ちになる。



emaの仕事の都合もあるし、

そんな数ヶ月も先の予定を

今から立てるのは実質的に難しい。



後になって「〇月〇日に〇〇

(近場)に少しの時間出かけたい」

と言っても、もしその日にすでに

先に凶暴さんの予定が入ってれば、


後で言い始めた自分の予定は

もちろん通らないし

凶暴さんの予定は尊重しつつ

自分はemaに会いに行く

というのは状況的に無理‥。



凶暴さんに機嫌良くいてもらうには

凶暴さんが好きなことや気分転換を

する機会ももちろん必要と思うし、


いくら凶暴さんが過激な人でも


自分自身は好きなことをする時間や

気分転換が必要と思いながら

誰かの趣味や気分転換の時間を

否定するのは矛盾してるから


凶暴さんが予定を入れることを

どうこう思ったり

文句を言いたいんではない。



ただ、もうそんなずっと先まで

今から予定を入れられてしまうと


自分の個人的な用事を入れる日は

あるのかなと思えてきてしまう‥。



家の都合をすごく考えた上で

具体的な予定を立てたとしても


「その日は〜で無理」と

もっともらしい理由をつけられたら

もうその日は諦めるしかないし、


emaが今より遠くに住んでた時よりは

精神的にも比べ物にならないほど

楽にはなったけどそれでも


会うまでにものすごくエネルギーを

使うことには変わらない‥。



お互いが住んでるちょうど真ん中で

会ったりできたら会いやすい?

とかも思ったりするけど、


仕事がハードで不規則なemaに

今の時点で自分がそんなことを

願うのはただの自分勝手な

わがままになってしまうし、


その“ちょうど真ん中”に自分が

行くのも今の家の状況では

それも自由にならないもんな;



今日、前にemaと会えた場所に

emaが仕事で行ったのを知った。


これが前に住んでる所なら

emaが仕事でどこそこに行ったと

聞いてもそれこそ更に自分が

行けるような場所ではなかったから


そう考えたらやっぱり今は近い!と

言い聞かせながら頑張ってる。