
今日は、別段用事も無く、家で書類整理でもしようかと思っておりましたが、昨日お世話になっている泉大津池浦町の方より、「だんじり出すよ。見に来るんやったら・・・」というご連絡を頂きまして、お言葉に甘えて少し拝見させて頂きました。 その後、昼から書類整理でも・・・と思っておったら、犬鳴山へ乗せてってくれと指令が飛び、書類整理を諦め、犬鳴詣でへ出掛けました・・・(汗)

▲まずは、泉大津市池浦町だんじり見学。。考えると、あまりじっくりとは拝見した事の無いだんじりでした。完全完成平成10年、大工は植山工務店(植山良雄師)、彫物師は【雲棧堂美術院】こと松田武幸師、立川靖雄師です。

▲松田武幸師と言えば、このだんじりが出世作であり、この後貝塚半田町や岸和田下池田町、そして岸和田旧市北町の彫物師さんとして知られています。だんじりレポとしては、また後日・・・

▲そして、昼ご飯を食べ、犬鳴山へやって来ました。最近、運動不足でしたし、毎年ここにはお参りをしているので、気持新たにお参りをします。

▲参道には、大きな岩がごろごろとしています。「どないして、ここまで運ばれたんやろ???」

▲ここにも・・

▲そして、山門が見えてきました。下のバス停からここまで、約10分間の山道です。

▲山岳宗教の聖地なんで、山全体が聖域なのですが、やはり山門を潜ると空気が変わるような気がします。

▲参道の碑が建っています。参道は大正十二年い整備されたようですね~だんじり界で言えば、岸和田旧市中町だんじり新調の翌年となります。。(汗)開さんも来たんでしょうか??(笑)

▲川沿いを進むので、かなりのマイナスイオンを受けてきました♪

▲深そうでしたが、川底の砂利までクッキリと見えていました!

▲参道沿いの川には、七つの瀧があるそうです。

▲淳和天皇は、ここで請願成就がなった折、山中にある七滝(両界の滝、塔の滝、弁天の滝、布引 の滝、固津喜の滝、行者の滝、千手の滝)を、金銀などの七宝になぞらえて、七宝瀧寺と命名しました。弘法大師空海は、この七滝にそれぞれ1神ごと、計七神の福の神(七福神)祀ったと伝えられています。

▲参道での一番大きな瀧です。ここで、初歩的なカメラテクの練習をしました。左の写真はシャッタースピード1/250くらいで写したものです。右側は1/8で写したものです。右側の方が流れに勢いが感じられます。。

▲お遊びもほどほどにして、上を目指します。

▲やっと入り口到着です。お寺なのに鳥居・・・神仏習合の名残でしょうね~

▲水掛不動さん。杓も寒さで凍っていました・・(汗)

▲下から30分くらい歩き、ようやくお堂に到着。。昨年一年間お世話になりましたと御礼と今年の無事を祈願して、帰路に着きました♪

最後に、犬鳴山七宝龍寺の説明をして終わります♪ 犬鳴山は、斎明天王の7年、修験道の開祖である役小角がに開基されたそうです。 奈良県大和の大峰山より6年早く開山されたので、元山上と呼ばれており、役行者の開山時に倶利伽羅大竜王が出現し、これを本尊としたと伝えられています。利剣に巻くこの龍は黒龍と言い、不動明王が右手に持つ利剣の象徴であり不動明王の化身とされ、倶利伽羅竜王(倶利伽羅不動尊)と呼ばれ、不動明王が衆生の煩悩や邪悪を火炎で焼き尽くす極限の形相を現しているとされる。 ちなみに、龍の絵を彫り込んだ刺青を「倶利伽羅紋紋」(クリカラモンモン)というのは この龍に由来するそうです。 また葛城峯中の奥の院とも呼ばれ、葛城二十八宿修験根本道場ともなっています。 そして、山号にもある犬鳴山の由来は、その昔大蛇に襲われようとした鹿追い猟師の主人を身を捨てて守ったという義犬の話を伝え聞いた宇多天皇が「報恩の義犬」として賞し、それまで「一乗鈴杵ケ岳」と呼ばれていたこの山に「犬鳴山」の勅号を与えた事によります。(ほぼ、ネットから抜粋・・・汗)