
本日は、久しぶりの彫師さん紹介をしようと思います。 今日ご紹介するのは、明治・大正・昭和に名作を刻まれた「粗彫り名人」玉井行陽師です。 玉井さんは、慶応二年に岸和田市浜町にお生まれになりましたが、だんじりだけでは無く、淡路壇尻や太鼓台、寺社など幅広く作品を残されています。 幼名は、熊吉で、名門【玉傅】こと玉井信吉師の子であり、縁戚にはこれまた名門【絹屋】こと絹井嘉七師がおりました。 叔父の嘉七さんは、熊吉(行陽師)を二代目高松彦四郎こと安田卯ノ丸に弟子入りさせ、一人前の彫師にしたということです。 また、熊吉さんは左眼が見えませんでしたが、その不幸をものともせず修業し、細かい細工は苦手でしたが、粗彫りでは、右に並ぶ者がなかったと言われています。 行陽さんの作品は、全体的な構図の良さと絶妙の間合いが目を惹きますよね~ また、作品の精度にバラつきが無く、安心して見られるのも行陽師の真骨頂ではないでしょうか。。 そして、何といってもすごいのは、明治~昭和に掛けて、凄い数の作品を残されている事だと思います。 本日ご紹介するのは、行陽師の一部の作品ですが、私が撮影したものだけを掲載しています。 また、最後には行陽師の渾身の作品だと思われる信貴山朝護尊寺の経堂「王蔵院」の蟇又を載せさせて頂きました。 それでは、ご覧ください♪

▲堺市「中山地車」明治十五年制作と言われています。行陽さん16才辺りの作品という事になりますが、大工が櫻井義国師といわれているので、義国さんの助やったのかもしれませんね~

▲泉佐野市「下瓦南町地車」明治二十年代の制作。行陽さん二十歳頃の作品だと思われます。

▲兵庫県五色町「鮎原栢野壇尻」明治二十三年制作と言われています。行陽さん24歳辺り。。

▲その栢野壇尻の墨書き。「彫工 玉井」と花押が入っていますが、新調当時のものでしょうか。。

▲堺市「西湊先代太鼓台」明治四十年?行陽さん40歳辺りの作品です。出来上がってきたという感じですよね~


▲忠岡町「生之町地車」大正五年制作。行陽さん50歳ぐらいでしょうか。

▲高石市「高磯(二区)地車」大正七年制作と言われています。言わずも知れた岸和田旧市南町先代です。以前、このブログでもご紹介させて頂きましたが、行陽さん作の中でもかなりの秀作ではないでしょうか。。行陽さん52歳の時の作品です。

▲この意匠も当時としては、斬新な意匠やったと思います。新調時は、見る者を唸らせたのでしょうね~

▲兵庫県洲本市「三木田壇尻」大正九年制作と言われています。黒檀製の名作です。54歳の作品です。

▲「大坂 玉井九馬一」の銘が入っていますが、大正9年では「大坂」はすでに「大阪」という表示に変わっていたと思うんですが、まだ古い表示を使っていたんでしょうか?個人的には、少し疑問符が残る作品ですね。

▲和泉市「葛ノ葉地車」大正十一年?

▲堺市「市之町地車」大正十四年

▲熊取町「和田地車」大正十五年

▲泉大津市「森地車」昭和二年

▲泉佐野市「鶴原東地車」昭和三年

▲和泉市「桑原地車」昭和四年

▲泉佐野市「貝田地車」昭和五年

▲堺市「菱木東地車」昭和六年

▲泉大津市「我孫子地車」昭和七年?

▲泉佐野市「新家地車」昭和九年?

▲東大阪市「若江南地車」昭和九年

▲東大阪市「北蛇草地車」昭和十五年?

▲南あわじ市「東本町壇尻」不明

▲南あわじ市「安住寺壇尻」不明

▲南あわじ市「松原壇尻」不明

▲岸和田市久米田寺

▲信貴山朝護尊寺経堂「王蔵院」


▲最後は、「王蔵院」の裏にある「泉州岸和田住人 彫刻師 玉井行陽ノ刀」
明治十五年 堺市中山地車 明治二十年代 泉佐野市下瓦南町 明治二十三年 兵庫県五色町鮎原栢野壇尻 明治四十年? 堺市西湊太鼓台先代 大正 五年 忠岡町生之町 大正 七年 高石市高磯(二区)地車 大正 九年 兵庫県洲本市三木田壇尻 大正十一年頃 和泉市葛ノ葉地車 大正 十三年 信貴山朝護尊寺「王蔵院」拝殿 大正 十四年 堺市市之町地車 大正 十五年 熊取町和田地車 昭和 二年 泉大津市森地車 昭和 三年 泉佐野市鶴原東地車 昭和 四年 和泉市桑原地車 昭和 五年 泉佐野市貝田地車 昭和 六年 堺市菱木東地車 昭和 七年? 泉大津市我孫子地車 昭和 九年? 泉佐野市新家地車 昭和 九年 東大阪市若江南地車 昭和 十五年? 東大阪市北蛇草地車泥幕 ※制作年については、ネットや書籍にて調査したものなので、確証はありません。