
盆明け一発目は、地元高石の高石神社の紹介です。 今年の春先の事ですが、少し行く用事があったので、ついでにその辺りを撮影してきました。 高石神社は、私の地元である高石北村のお膝元にある神社で、昔よりたくさんの思い出のある場所です。 小さい頃には、秋まつりは、十月はじめの土日でした。その当時には、北村も先々代だんじりを手放しており、花車を自治会、子供会中心に曳行していましたが、市内では、現在のようなだんじりまつりほどの華やかさは、ありませんでした。しかし、神社の境内には、おばけ屋敷をはじめとした沢山の露店で賑わっていましたが、今は見る影もありません。 現在では、いつの間にか、神社の祭りから各地区のだんじり曳行中心のまつりになり、市内の各所で華やかな曳行が行なわれるようになりましたが、神社の祭礼は、衰退しているように思えます。 と言う事で、本日は氏神さま応援記事と題して、お送りしま~す。 と、その前に。。。 高石神社の創建は、今より1350年以上も前、孝徳天皇の御代の白雉元年と言われて、平安時代に編纂された「延喜式」には、その名も見られ、大変由緒ある神社なのです。 祭神は、薬や学問などの神と言われている少彦名神をはじめ天照皇大御神、熊野坐三社などが祀られておりますが、その昔は、この辺りに住んでいた豪族により、百済より漢字と儒教を伝えたとされる王仁(わに)博士が祀られていたと言われています。 また、明治時代には、近郷の小さな神社(八幡、八坂、船留、春日、彌榮、新井)も合祀され、本殿横にお祀りされております。 それでは、最後に、結構レアな写真もあるので、お楽しみください♪

▲境内には、狛犬がたくさんあるんですが、社殿に近いこの狛犬が一番古いではないでしょうか。。裏には、天保4年の文字が。。。

▲この辺りでは、スタンダードな和泉砂岩製であろう風格のある吽形の狛犬。あまり風化も無く、保存状態は、良いのではないでしょうか。。

▲右端に、天保四年の文字。。見えます?

▲社殿付近の風景。昔の海岸線は、この辺りやったそうです。

▲その時の松林が今も残ります。その白砂青松の地で、数々の歌人が歌を詠んでいます。その代表格が、小倉百人一首七十二番、祐子内親王家紀伊の「音に聞く 高師浜のあだ波は かけじや袖の濡れもこそすれ」という恋歌なんです。

▲そんな古の高師浜が昔の絵にも描かれています。今は、美しい海岸線も見る影もないですが、神社には、少しですが面影を感じる事が出来ます。

▲この日は、少し神社に保管されている御神輿を宮司さんの許可を頂き、拝見しました。 痛みが激しいですが、現役なんですよ。。 いつも祭礼に車に載せて小高石の御旅所(八幡神社跡)まで、渡御に向かいます。

▲そして、これは横に置いてある古い方の御神輿です。こちらは、屋根が漆塗りでした。
その昔、紀州街道沿いにあった高石神社は、大阪や京都から紀州を経て、熊野詣の参詣道として街道を行く人たちが高師浜の絶景に誘われ参拝に訪れ、非常に賑わったそうです。神社の少し向こうには、「筆屋」という旅籠もあり、有名な歌人や江戸末期の測量学者伊能忠敬も泊まったそうです。
そんな中で、昔より祭りの主役は、お神輿と決まっていました。 現在では、だんじりの影になっていますが、個人的には元来、神社の秋祭りを祝うアイテムはお神輿ですから、本来の祭りの主役はお神輿でなければならないと思います。 我が北村の氏神さまである彌榮、春日、八坂神社もこの時、合祀されました。 しかし、最近の若い方は、あまり知られていないようで、正月も本殿だけをお参りされている方もおられるそうです。。(涙) 若い子たちには、バカにされそうですが、こんな時代だからこそ、神事を大切にした祭りにも目を向け、お爺ちゃんから孫へ過去から未来へ繋がる祭りの継承が必要なのではないでしょうか。。。 また、今の紀州街道は、昔の面影は殆ど感じられませんが、いつの日かお神輿とだんじりで賑わい、昔の賑わいが少しでも蘇ればいいな~なんて思ってます。 そして~今年の紀州街道地車連合会の25周年のイベントにおいて、お神輿に関するサプライズがあります。 まだまだ、打合せ段階なので、詳細はお話できませんが、本決まりになれば、ここでもご披露したいと思います。。