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先日少し彫物比較を掲載した菱木奥地車でしたが、本日は本格的にいってみようと思います。
菱木奥地車は、昭和7年泉大津市板原町が新調し、平成17年まで曳行するも板原町新調のため、菱木奥へ売却となり、平成18年より菱木奥で曳行されています。
大工は、【大宗】こと植山宗一郎師、彫師は当時売り出し中であった【黒田の龍虎】こと木下舜次郎師と松田正幸師等だという事です。
この菱木奥の特徴としては、男性的な植山式の姿見もそうですが、個人的には何と言っても昭和4年新調の岸和田旧市上町の開正藤師を見本としたであろう彫物群ではないでしょうか。。

それでは、いつもと少し違う紹介ですが、旧市上町と比較しながら、ご覧ください♪
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▲まずは、姿見なんですが、前項でも言いましたが、男性的で非常に凛々しく感じられます。写真は、いつも見るのは曳行中なんで、なかなか止まっているところをゆっくり拝見したことがありませんので。。。(涙)いつか、全体的にじっくり見てみたいですな~
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▲唯一の停車中の姿見は、正面のみです。目立つのは、改修時に入れ替えられたと思われる特徴的な鬼板と懸魚の「波濤に鶴と亀(井尻翠雲師)」です。また、町名持ちは、平成18年に付けられた「素盞鳴命」。彫師は、高浜輝夫師です。
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▲屋根周りですが、この地車のこの隅出す、好きなんです。この唐獅子が何ともカッコよろしいな~
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▲はい~!それでは、彫物いってみましょう♪主屋根枡合は、正面「天岩屋戸の変」、右「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左「後醍醐天皇隠岐より帰る」です。どれも開さんを意識したであろう作品に惚れ惚れしました。補足ですが、左の後醍醐天皇は、改修前無かったのですが、彫師の方のイメージで後醍醐天皇が入れられたのですが、左側の武将の雰囲気から平安~鎌倉時代と考えられ、この雰囲気とよく似たこの後醍醐天皇の図柄を開さんや吉岡義峰師が彫られているので、個人的にも間違いないと思います。
ここを見てサッと後醍醐天皇を残った跡通りに彫上げる彫師さん、さすがです!!
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▲続いては、後屋根枡合です。正面は「本能寺の変」、左「日吉丸 小六矢矧橋の出会い」。右「桃山御殿」です。正面の「本能寺の変」は、黒田一門の十八番であり、彫師の意気込みが感じられます。しかし、蘭丸さんは、替わっているような気がしますね~一方「桃山御殿」は、非の打ち所の無い作品ですし、また、「日吉丸 小六矢矧橋の出会い」は、開さんの十八番であり、この作品の雰囲気も開さんそのものだと思いますが、この作品をジッと見ていると開さんと義峰さんの共通点らしきものも感じてしまいます。。。
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▲そして、ここの竹の節もある意味、特徴的ではないでしょうか。この足が長めの唐獅子ですが、昭和一桁代の植山製の地車に多く見受けられます。昭和10年代のこの辺りのシリーズのものとは、少し雰囲気が違います。。
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▲また、そのすぐ脇の物見も唐獅子なんです。ここの唐獅子も良いですね~
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▲見送り虹梁は、武者ものが彫られています。
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▲また、見送り下の腰周りも図柄は分かりませんが、見事な武者ものが入っています。
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▲そして、ここよりは腰周りの紹介ですが、旧市上町を模して制作されています。まずは、左平より縁葛「仁田四郎忠常猪退治」大連子「?(上町は、加藤孫六嘉明 浅井吉兵衛討取り)」小連子「清水一学の奮戦」土呂幕「加藤清正 新納武蔵守の血戦」です。
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▲こちらは、上町の腰周り左平ですが、上でお話したように菱木奥の大連子は?なんですが、上町の大連子を見ると意匠などよく似通った部分があります。左の○部分は、ほぼ一緒の意匠と言ってもよいぐらいなんですが、右の○部分は、騎馬武者の振り向いている方向が違っています。多少の情景の違いはありますが、振り向きだけの違いだとすると上町と同じ【賤ヶ岳合戦】の加藤孫六とも見れるのではないか。。なんて個人的には思いました。 

補足ですが、この上町の大連子、よく見ると旧市大北町の土呂幕正面と意匠同じですね。。開さんこれ見て、彫ったのかな~
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▲縁葛も上町と同じ図柄です。ただ小連子は同じ忠臣蔵ですが、入っている場面が違います。それにしても連子のどの部分も旧市の地車を見本にしているだけあって、良く彫られております。
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▲土呂幕の加藤清正もこの通りです。かなり、苦心して作事されたのではないでしょうか。右下が上町。 
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▲この辺りの舜さん十八番の雑兵も開さんからのものなんでしょうか。。しかし、滑稽ですね~ 
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▲続いては、右平で縁葛「勢子等の活躍」大連子「巴御前の勇戦(上町は、福島正則 拝郷五左衛門討取り)」小連子「吉良邸討入り内蔵助の雄姿」土呂幕「本多出雲守忠朝 荒川熊蔵の血戦」です。ここも大連子に注目です。この面の大連子は、どう見たって巴さんだと思うので、巴御前と記載させて頂きましたが、上町の同じ面を見てみると、ちょっと??がつくように思えます。。 
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▲こちらは、上町の同じ面ですが、大連子「福島正則 拝郷五左衛門討取り」を見ると左○の騎馬武者の顔部分だけが少し違う程度で、あとは全くと言っていいほど、同じなんですよね~菱木奥の武将は、巴さんを髣髴させる兜のような烏帽子を思わせる彫物なんで、まあ巴御前やろな~と思って入るんですが、如何でしょうか?? 
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▲問題の菱木奥大連子のアップです。巴さんやよな~
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▲そして、土呂幕の「本多出雲守忠朝 荒川熊蔵の血戦」のアップです!ここも本多忠朝の振り向きの馬の感じが開さん作を模して、よく彫られていますね~
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▲また、土呂幕比較です!ここも開さんの特徴をよく掴んでられるな~と思いました。特に、荒川熊蔵のちょんがった鼻と馬の鬣です。開さんの馬の鬣は、大体こんな感じなんですよね~
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▲そして、腰周り最後は、正面で縁葛「頼朝 報償の場」大連子「?(上町は、秀吉本陣 佐久間の乱入)」小連子「両国橋引揚げ」土呂幕「川中島の合戦」です。こちらも大連子は?がついていますが、上町は「佐久間の乱入」になっています。
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▲こちらは、上町腰周り正面です。またもや大連子を見て頂けるとお分かり頂けると思いますが、右○の武将の構えが少し違うだけで、あとは佐久間の駆る馬の顔を含めて、よく似た意匠なんですよね~が、しかし普通は、佐久間の乱入は、秀吉公が奥板に居れば、確定が出来るのですが、見えないようなんで、推測はあくまでも推測なので、この辺りにしておきましょう。。(汗)
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▲問題の佐久間さんらしき武将のアップです!
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▲しつこいようですが、上町の佐久間さん。。
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▲その他、先日掲載した忠臣蔵の服部彦七なども舜さん、よく観察されています。ってか、観察しても彫る技量が無ければ、この作品は完成してませんもんね~すごいです!!
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▲土呂幕最後は、これが木下一門の川中島の始まりか!と思われる作品なのですね~
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▲最後も上町との比較です!しかし、よくもまあここまで、やり抜いたものですよね~「あっぱれ舜さん!」といったところでしょうか。。
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▲最後は、菱木奥先代地車です。同じ堺の新在家の地車やったそうです。昔の面影は、あまり無さそうな感じですが、見送り三枚板は、彫又一門の作でしょうか?鵺退治です。。

今まで、彫物も結構な数を拝見してきております。
そして、彫師の皆さんも十人十色あります。そして、その殆どの彫師の方は師匠や目標とされている方が居られ、何らかの形で、誰かに師事を乞うており、その師事されている方の作品を真似たり、模したりなどをしており、そんな作品も数々拝見してきましたが、この舜さんこと木下舜次郎師は、開正藤師や吉岡義峰師などの複数の彫師をここまで模した方を未だかって、拝見した事がありません。(開親子は別です。。)
また、その模した彫師さんの良い部分を多分に吸収して、自分独自の作品を作り上げるという方は、他に類を見ないのではないでしょうか。。
また、その模した作品が名作として、未だ現在も受け入れられているというのも、すごいことだと思います。
その辺りが、名匠と呼ばれる由縁なのでしょうね~
いつもとは、少し違う地車紹介でしたが、これだけ私が崇拝する開さんを大解剖された木下舜次郎師のこの地車を普通の紹介にする訳にはいきませんでした!(汗)
そして、好き勝手な事をお話して申し訳ありませんでしたが、あくまでも個人的主観の元でのお話なので、軽く聞いて頂ければ幸いです。

最後に、菱木奥町会、前所有町会の板原町をはじめ数々のファンがいるこの地車をいつまでも大事に曳行出来ますようお祈り致します。。