
本日は、久しぶりに岸和田型地車のご紹介をさせて頂きます。 昨年、貝塚市「小瀬地車」を試験曳き前の慌しい時に、拝見させて頂きました。 小瀬地車は、昭和12年制作で、大工【大宗】植山宗一郎師。彫り師が【京彫】吉岡義峰師はじめ、当時の若手彫り師による作品だといわれております。宗一郎師と義峰師といえば、熊取大宮地車が思い出されますが、それより5年後の作品だと言う事で、非常に興味深い作品なんです。そんな【大宗】&【京彫】なので、機会がある度に拝見させて頂いているのですが、じっくりと見れたためしが無く、淡々と機会を伺っております。 いつかじっくり拝見出来ますようにとの思いも込めて、教は今まで少しの間に撮った写真を集めて掲載させて頂きます。少し見辛い写真もありますが、ご了承下さい。 それでは、ご覧下さい。

▲まずは、姿見です。植山式と言われる非常に男性的な雰囲気を持ってますね。

▲そして、大屋根枡合ですが、平の部分は二重枡合形式になっております。図柄は、正面「天岩屋戸の変」、右「神武東征」、左「後醍醐天皇隠岐より帰る」後ろは、「武者もの」。二重枡合上部については、浅学の私では合戦物と判るだけです。

▲小屋根枡合については、旧市上町と同じく二重見送り形式で、「本能寺の変」になっていました。

▲松良は、【源平盛衰記】より右「大江山頼光の木渡り」、左「安宅関弁慶義経徴打」です。この部分は、取り替えられているんですかね?

▲いよいよ腰周りです。まずは、正面ですが、縁葛【富士の巻狩り】より「報償の場」大連子【太平記】「楠木正行初陣」小連子【忠臣蔵】「両国橋引揚げ」土呂幕「秀吉本陣佐久間の乱入?」と思います。。ここの土呂幕が、ちょっと確定しにくいものになっています。豊臣紋の武者が金棒を持った武者に打ち負かされているので、佐久間の乱入かな?と思うんですが、甲冑の胴に彫られている家紋らしきものが、源氏車?のようなので、確証は無しです。。

▲土呂幕も良いのですが、ここ小瀬の連子に抜群の細工が見られました。その中でも大連子の【太平記】「楠木正行初陣」は図柄としても珍しいですね。

▲そして、問題の土呂幕です。金棒を持った武者は、非常に躍動感がありますし、打ち負かされている武者の意匠がまた良いですよね~

▲続いては、左平ですが、縁葛【富士の巻狩り】「仁田四郎猪退治」大連子【太平記】「楠木正成勇戦」小連子【忠臣蔵】「清水一学の奮戦」土呂幕「加藤清正 新納武蔵守血戦」と思われます。

▲ここの大連子も太平記より珍しい正成の勇戦が彫られていますね~たしか、同じ貝塚の半田先代(開さん作)の連子が太平記やったような気がします。ここは、どなたの作品なんでしょうね~?

▲土呂幕です。これは、加藤清正でしょう♪バランスが良く、何て言うても勢いがありますね~

▲こちらの武蔵守も同様に、抜群の作品です!

▲そして、右平です。縁葛【富士の巻狩り】「狩場風景~勢子の活躍~」大連子【太平記】「後醍醐天皇より勅を受ける正成」小連子【忠臣蔵】「吉良邸討入り内蔵助の雄姿」土呂幕「福島市松拝郷五左衛門討取り?」と思われます。この日は、少し光の加減で見難いですが、ご了承ください。

▲ここもやはり紫震殿での後醍醐帝と正成が良かったですね~縁葛と小連子ともに良く彫られていました!

▲大連子アップです!

▲土呂幕です!ここも躍動感がありますよ~図柄の感じからすると「福島市松拝郷五左衛門討取り」と思われますが、どうなんでしょうか?木村重成。。?ん~。。。

▲そして、見送り周りですが、竹の節「親子唐獅子」とかも秀作です。摺出し鼻も見送りと連動する武者もので、良い作品でした!

▲ここ見送り下の腰周りも抜群です。連子は、藤吉郎草履取りの場面やと思われます。水板の波もええラインなんですよね~

▲こちらも良いですよね~しかし、図柄はちょっと判らないです。あと写真は無いんですが、正面の連子は「築城用材調達の場」だったと思います。

▲そして、見送りですが、図柄は「大坂夏の陣」となっています。その前に大脇なんですが、ここもええのんが入っていました!

▲最後は、豪華な見送り内です。たぶん、多数の彫り師さんが入っていると思われます。ここ小瀬地車のメインと言ってもよいでしょうね~普通たくさん彫り物が入っているとごちゃついた感じがあるんですが、構成もよく考えられていますね~

▲木村重成をはじめ、坂崎出羽守などのお馴染みのところも良く彫れています。左上の作品は義峰さんだと推察しますが。。右下の銘板には、「作人 植山宗一郎」とありました。
この地車の第一印象は、「丁寧に彫られた作品が多いな~」と感じました。 また、彫り物図柄の方も珍しい意匠が多く、彫り師さんも何方が彫られたのかなど図柄、彫り師さんともに確定が難しい作品が多いんですよね~ しかし、裏返して考えると、いくつかの書籍にも書かれていましたが、義峰さんが責任者となり、当時携わった若手彫り師さんたちが試行錯誤しながら一生懸命作り上げたのではとも感じます。 そんな想いが篭った名作をいつかゆっくりと拝見したいと思っております。 また、少し見辛い写真が多かったので、申し訳ありませんでした。 最後に、昨年快く撮影をさせて頂いた町会の方には、遅ればせながら感謝致します。
