
本日は、クリスマスですね。 世間では、子どもたちがお父さんやお母さんに、プレゼントを貰い楽しい夜を過ごしている事でしょう♪ そんなクリスマスの夜に、ブログをご覧頂いている皆さまにも私からのプレゼントみたいな彫り師名鑑をお送りします。 今日ご紹介させて頂くのは、地車彫刻界において【京彫】の第一人者である吉岡義峰師であります。 吉岡義峰師は、京彫師「吉岡米次郎師」の子息で、本名 義一と言い、昭和19年(享年50歳)に死去するまで、数々の名作を残します。また、若松氏の著書である「摂河泉だんぢり談義」では、日本画においても名を残し、今も蒐集家の間で師の肉筆画は、高価な値段で、取引されているという事が書かれています。そして、岸和田に来てからは【関東彫】一元林峰師の下で修業する事になり、岸和田旧市五軒屋町先代(現:堺市太井町)では、二人の合作が見られます。 そして、岸和田旧市の本町地車の正面「小連子」「大連子」は、昭和7年京都岡崎公園における「皇孫御誕生祝賀こども博覧会」において、第一位となった事は、ご存じの方は多いと思います。 義峰師の作品は、開さんのように優美ではなく、正反対といっても過言ではない、荒々しく非常に勢いのある作風で、見る者を魅了します。そして、熊取大宮で見られる大脇部分における義峰師の十八番である一木で彫りあげた「二頭の馬」を彫る技術は、名匠でしか成し得ないものだったとか。。その技術を見て、かの舜さんも大変影響を受けた名匠ですよね。しかし、地車の本場である岸和田市では、旧市本町にて【醒ヶ井彫】森曲江師との合作はあるもののそれ以外は無いんですよね~(以外です。。) 一説には、義峰師は、四国讃岐の左家(左甚五郎子孫)分家。京都派左半十郎名人の流れを汲む彫師ではないかという事も「摂河泉だんぢり談義」に記載されていましたね。 それでは、義峰師の代表作リストを見て頂き、作品の写真を見て頂きます。
大正12年太井地車(堺市)、堀之町太鼓台(貝塚市) 昭和 7年野田地車(堺市)、同7年(8年完全完成)本町地車(岸和田旧市) 同 8年大宮地車(熊取町)、西の番地車(泉佐野市) 同 9年久保地車(熊取町) 同 11年中庄地車(泉佐野市) 同 12年小瀬地車(貝塚市)ほか、助ではまだまだ参加しているかもです。。そういえば、穴師豊中の見送りにもあったような。。

▲まずは、師匠にあたる一元林峰師との合作の堺太井町地車の見送りの馬乗りです。確証は無いですが、義峰さんっぽくないですかね?

▲そして、これまた確証なしですが、貝塚市堀之町太鼓台です。義峰師の十八番と言ってもよい、「日吉丸 矢作橋出会い」です。

▲続いては、唯一の大宗&義峰の折衷型の鳳は野田地車の三枚板です。良いですよね~

▲そして、唯一岸和田で気を放つ旧市本町地車の「皇孫御誕生祝賀こども博覧会」第一位の土呂幕の連子部分です。すばらしいですね!

▲本町の見送りの強力です!これも師の十八番の意匠ですよね~カッコいいです!!

▲これも見送りの義経公です。「さすがは、義峰!」といったところでしょうか。勢いありますもんね~

▲本町最後は、畠山重忠の夕月背負う強力です。傑作ですね!

▲続いては、これも名作である熊取大宮地車の松良「安宅の関 弁慶義経徴打」です。昨年・今年と食い入るように拝見させて頂きました。ぐの音も出ません。。(汗)

▲義峰「傑作!四段彫」の正面土呂幕「佐久間の乱入」です!

▲最初にも書いた大脇部分の一木よりの二頭彫り!すばらしいですね~

▲続いての傑作は、大宮とは兄弟地車と言われている泉佐野「長滝西の番地車」です。腰周りは、ええ写真なかったんですが、この地車で一番好きな見送りの強力です!しびれますね~

▲同じく西の番の土呂幕の一部で、この彫り物に義峰さんを感じますね!

▲そして、この気迫籠る馬乗りは、熊取「久保地車」です。この作品は、良いですよね~

▲続いては、晩年の作品である泉佐野「中庄地車」の土呂幕です!相変わらずの迫力ですよね~

▲同じく中庄で、荒々しい馬の表情は、健在です!

▲最後は、これまた晩年の跡目「吉岡喜代志師」との合作と言われる貝塚市「小瀬地車」です。この地車は、たくさんの彫師さんが参加されているそうですが、見送りのこの馬乗りは義峰さんではないでしょうか。。
私からのクリスマスプレゼントは如何でしたでしょうか? 高校生の頃、旧市本町見送りの吉岡さんの作品を見て、「なんちゅう荒々しい厳つい彫もんや~」と思って見ていたのを思い出します。それ以来、開さん同様、この特徴ある師の作品に、魅了されてきました。そんな折、去年・今年と熊取大宮地車の網なしを拝見させて頂き、改めて師の魅力を見せつけられた思いがしました。
