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本日は、「源平盛衰記」~第六幕~をご紹介させて頂きます。
前回、【旭将軍】こと木曾義仲の最期をお話させて頂きましたが、お話は少し戻って、頼朝軍が富士川にて平氏軍に惨敗し、尚且つ頼朝は、石橋山にて度重なる惨敗のまえに、梶原景時の二心にて辛くも安房国へ逃げれたところまで、お話しました。
今日は、その後の頼朝の足取りをお話して行きましょう。
それでは、はじまり~はじまり~~

平氏は、石橋山にて頼朝軍を完膚なきまでに、打ちのめしましたが、安房国へ逃走した頼朝を追撃しようとはしませんでした。
これぞ、平氏の驕りであったかどうかは、定かではありませんが、九死に一生を得た頼朝は、安房国において体勢を立て直し、源氏恩顧の武将に今一度、我に付き従うよう号令をかけました。関東には、その昔「前九年後三年の役」以来の源氏恩顧の武将が数多く居り、頼朝の号令に、続々と結集して参りました。
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▲そして、ついに奇跡の復活を果たし、源氏の本拠地である鎌倉へ入り、態勢を整えると西へ進撃を始めました。ちょうど、その頃、腹違いの義経と黄瀬川にて涙の対面を果たしました。この時、義経二十二歳でありました。「岸和田旧市沼町」
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▲そして、平氏は再び源氏追討に、平氏の総大将「平維盛」を送り込み、またもや富士川にて対峙します。この時、平氏軍の数およそ「二十万騎」とも云われていましたが、時の勢いを感じたのか、石橋山合戦の時、平氏軍に付き従った平氏軍より次々に源氏軍に寝返る者が続出します。そして、この後、有名な水鳥の羽音に驚いて、平氏軍は、敗走してしまいます。

そして、事態は急展開します。なんと、今日まで平氏の求心力であった清盛が、死去してしまったのです。ここより、源氏軍の快進撃が始まりますが、前回お話した木曾義仲が一足早く都の平氏を追いやる事に成功します。しかし、木曾義仲は、都の治安を守る事が出来なかった上に、西の平氏に対して、追撃しますが、ことごとく負けてしまいます。そして、焦った義仲は、征夷大将軍の座に就き、頼朝の命を受けた義経軍と宇治川にて対峙します。

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▲血気逸る義経軍の武将二人。両名とも頼朝拝領の名馬を駆り、宇治川にて先陣争いを繰り広げる。先陣を切る名馬「生唼(いけずき)」と「佐々木高綱」後を追う「する墨」と「梶原景季」。この絵からもこの時の義経軍の勢いが感じられますね~
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▲そして、祭り彫刻でも数々の名作を生んだ名場面ですね~この時、高綱は初め遅れをとるが、景季に馬の腹帯が緩んでいるので締め直す様に薦めて行わせ、その間に先陣を切ります。悔しがる景季のこのシーンは、どんな時も見入ってしまいます!「兵庫県北条(谷屋台)」

これより、頼朝・義経軍の本当の平氏討伐が始まります。次回は、いよいよ一の谷合戦をお送りいたしますので、お楽しみ!!