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本日は、「源平盛衰記」~第五幕~のお話でございます。
本編では、ちょっと頼朝・義経から離れて、同じく以仁王より令旨を受け、都へ挙兵したもう一つの源氏軍である「木曾義仲」のお話をしましょう。
それでは、お話を以仁王が、諸国の源氏に「平家討伐」の令旨を発した頃に戻します。
頼朝に、以仁王よりの令旨が届いた同じ頃、木曾山中の豪族「中原兼遠」の所へ身を寄せていた頼朝とは従兄弟にあたる「源義仲」(別称:木曾義仲)にも令旨が届いていました。
ここにも頼朝と時を同じくして、挙兵した源氏の弾頭がありました。
それでは、ご覧下さい。
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▲源 義仲(みなもと の よしなか)は、通称・木曾次郎。木曾 義仲の名でも知られる。「朝日将軍(旭将軍)」と呼ばれた。清和源氏の一族で、河内源氏の流れを汲む。父は義朝とは兄弟の源義賢であり、源頼朝・源義経とは従兄弟にあたる。
以仁王の令旨によって挙兵、都から逃れていた以仁王の遺児を北陸宮として擁護し、平氏のいる都を目指す。(岸和田旧市沼町)
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▲そして、もう一人この場面に欠かせない人物が居ます。そう皆さんご存知の義仲が愛妾の源平盛衰記におけるスーパーガール「巴御前」です!信濃国の豪族・中原兼遠の娘で、「巴は色白く髪長く、容顔まことに優れたり。強弓精兵、一人当千の兵者(つわもの)なり」と謳われた容姿端麗で、大力の武勇の誉れも高く、彫刻では、粟津合戦の和田義盛との一騎討ちが有名ですよね!また、『源平盛衰記』では、義仲が敗れた後には、落ち延び頼朝の召還で、一騎討ちをした和田義盛の妻となり、「朝比奈三郎義秀」を生んだとされる。(堺市津久野西組)
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▲話しは戻りますが、以仁王より令旨を受けた義仲は、越中の倶利伽羅(くりから)峠の戦いで10万とも言われる平維盛率いる平氏の北陸追討軍を破り、続く篠原の戦いにも勝利して勝ちに乗った義仲軍には沿道の武士たちが続々と集まり、怒濤の勢いで京都を目指して進軍していくのでありました(金熊寺やぐら)。
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▲そして、都への最後の関門である延暦寺との交渉を始め、「平氏に味方するのか、源氏に味方するのか?もし平氏に味方するのなら、合戦となり延暦寺は瞬く間に滅亡するだろう」という脅迫めいたものだった。7月22日に義仲が比叡山に城郭を構えたことが平氏側に伝わると、平氏は安徳天皇を擁して都を落ち、西国へ逃れました。(岸和田市今木町)
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▲倶利伽羅峠の戦いで平氏の大軍を破って上洛した義仲軍ですが、平氏の居なくなった都の治安を守れる事が出来ず、朝廷との確執が深まってしまいました。
そして、後白河法皇と後鳥羽天皇を幽閉というクーデターを起こし、征東大将軍となり、その10日後に源頼朝が送った源義経の軍勢と近江国粟津で対峙しますが、義経が率いる頼朝軍に、あえなく敗れ去ってしまいます。(泉大津市板原町)
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▲そして、今宵最後は、地車彫刻においての巴御前の白眉とも言える岸和田旧市並松町の巴御前さまを見ながらお別れしたいとお思います。

いかがでしたか?
源氏方での都一番乗りを果たした義仲でしたが、充分な戦後処理が出来ず、朝廷との確執を起こしてしまい、頼朝を待たずして、自らが征夷大将軍となり、義経が率いる頼朝軍と対峙しますが、撃破されてしまいます。戦国の世の移り変わりの激しさをまざまざと感じさせられる一幕でありました。次回は、また少し時を戻し、今回と重複するところもありますが、頼朝と義経との対面からご紹介しようと思います。
それでは、今宵はこの辺りで失礼を致します。