
さて、本日ひさしぶりのお題は、「源平盛衰記」~第四幕~のお話をさせて頂こうと思います。 いよいよ、朝廷内の争いも激しくなり、遂に朝廷内に「平氏討伐」の不穏な動きが渦巻き始めました。しかし、内通等で事態が発覚してしまします。しか~し!この事が源平第2ラウンドのはじまりでありました~!それでは、ご覧下さい。

▲「平氏にあらずんば人にあらず」とまで、言わしめ、栄華を極めていた平氏に朝廷内の不満が爆発し、源平第2ラウンドの狼煙となる後白河法皇を中心とした反平氏の公家衆の密約があったとされる「鹿ケ谷の陰謀」にて、清盛と法皇をはじめとする朝廷の軋轢は決定的なものになる。その後も都での清盛側と朝廷のいざこざは続き、ついに後白河法皇を鳥羽へ幽閉してしまいます。この事に法皇の第2子「以仁王」が源頼政と組み、全国の源氏に対して「平氏討伐」の「令旨」を発し、奈良・京都の有力寺院とともに挙兵しようとしたその時、平氏側に計画が漏れ、以仁王、頼政ともに討取られてしまいます。いったん治まったように見えましたが、亡き以仁王が発した令旨が、後に平氏を追い詰めようとはこの時点では、誰も気づいていませんでした。そして、まだ近隣寺院との軋轢が残る京をあとに、清盛は兵庫福原に、遷都を決行しました。(清盛怪異を見る「春木宮本町」)

▲「大江山鬼退治」で、有名な摂津源氏の本流を汲む「源頼政」。頼政も鵺退治の武勇伝が残る名将である。平氏の世の中にあり、ただひとり源氏として中央政権に留まり、武士としては破格の従三位に昇ったが、平氏の朝廷への弾圧を許せず、以仁王と結んで平氏打倒の挙兵を計画し、諸国の源氏に平氏打倒の令旨を伝えた。最後は、以仁王を逃がすべく「宇治平等院」に息子たちと立て籠もるが、多勢に無勢の中、あえなく自害してしまいました。享年77歳。しかし、この後「頼政」が発した「令旨」が本当の意味の第2ラウンドの始まりでした。(岸和田旧市沼町先代)

▲その「令旨」を受けた伊豆の頼朝は、「今こそ、平氏討伐の時!!」と立ち上がりました。(岸和田旧市沼町)

▲そして、平氏側の「山木兼隆」の屋敷に夜討ちを仕掛け、見事成功します。(津久野西組)

▲しかし、勝利の美酒に酔う暇も無く、大庭景親の兵3千に、石橋山で待ち伏せをされました。対する頼朝軍の兵3百と10分の1の僅か戦力では勝ち目はありませんでした。そして、大庭軍は山中をくまなく捜索し始めた。大庭軍の梶原景時が、頼朝の居場所を知るが情をもってこれを隠し、この山に人跡なく、向こうの山が怪しいと景親らを導き、頼朝の命を救いました。頼朝は、巻返しを図るため安房国(現在の千葉県あたり)へ逃走しました。(下幡多壇尻)

▲また、石橋山の合戦は、頼朝軍も全滅していてもおかしくはない状況だったのですが佐奈田与一義忠らの死闘により、頼朝は辛くも逃げおうせました。(写真は、佐奈田与一義忠 俣野五郎景久組打ち「岸和田市荒木町」)
いかがでしたか?
ついに、立ち上がった源氏軍でしたが、はじめのうちは、ことごとく平家軍の圧倒的な兵力の前に、組伏せられていました。
そして、安房国に逃走した頼朝は、再び源氏ゆかりの兵を募り、兵力を整え巻き返しにかかります。そして、いよいよ、ここより源氏の快進撃が始まろうとしています。
と言うところで、今宵はこの辺りでおしまいとさせて頂きます。次回をお楽しみに!!
ついに、立ち上がった源氏軍でしたが、はじめのうちは、ことごとく平家軍の圧倒的な兵力の前に、組伏せられていました。
そして、安房国に逃走した頼朝は、再び源氏ゆかりの兵を募り、兵力を整え巻き返しにかかります。そして、いよいよ、ここより源氏の快進撃が始まろうとしています。
と言うところで、今宵はこの辺りでおしまいとさせて頂きます。次回をお楽しみに!!