
本日は、「源平盛衰記」~第二幕~をお話して行きましょ~♪ 前回の第一幕では、保元の乱で、源氏方が敗れたところまで、お話しましたので今日は、その続きからです。 「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり‥」勝った平氏に敗れた源氏。。世の中は、無常そのもの負けたその次の日から源氏方の落武者狩りが、頻繁に始まりました。 大将の源義朝と嫡男義平と朝長そして、頼朝たちは、再起を伺い、一時「尾張」方面へ逃走します。その時、頼朝は一行とはぐれてしまいます。 そして、一方、源義朝の愛妾である常盤御前も義経たちと京を逃れるのでした。 それでは、第二幕のはじまり、はじまり~
尾張へ落ち延びようと懸命に雪の中を行く義朝一行は、途中の吹雪の中、頼朝とは、はぐれてしまい、「命あらば また再会できようぞ!」と戻らず、尾張を目指しました。
やっとの思いで、尾張に着き、家臣の長田忠致のもとに身を寄せ、そこで義平とは、別れた。しかし、長田忠致の裏切りに遭い、あえなく最期を遂げてしまう。また、義平も一旦別れたが、義平の死を知り、「清盛にせめて一太刀‥」と、京に戻って潜伏するが、失敗する。
そして、斬首の日。
太刀取りの難波経房へ振り向き「貴様は俺ほどの者を斬れる男なのか?名誉なことだぞ!まずく斬ったら喰らいついてやる」と言ったそうです。
「首を斬られた者がどうして喰らいつけるのか?!」と問うと、「すぐに喰らいつくのではない~雷になって蹴り殺してやる!さあ、斬れ!!」と叫び義平は斬首されました。享年20歳でした。

▲それから8年後、難波経房は清盛のお伴をして摂津国布引の滝を見物に行った時、にわかに雷雨となり、雷に打たれて死んだという。


▲そんな、清盛に厳島弁才天が、姿を現し清盛のおごる気持ちを戒めようとしました。

▲しかし、「我 神と同等の行いは出来る!」と、当時瀬戸内の音戸開削工事の折、工事の日没にかかったのを遅らせたという伝説も残っており、当時の平氏の隆盛を物語っています。
やっとの思いで、尾張に着き、家臣の長田忠致のもとに身を寄せ、そこで義平とは、別れた。しかし、長田忠致の裏切りに遭い、あえなく最期を遂げてしまう。また、義平も一旦別れたが、義平の死を知り、「清盛にせめて一太刀‥」と、京に戻って潜伏するが、失敗する。
そして、斬首の日。
太刀取りの難波経房へ振り向き「貴様は俺ほどの者を斬れる男なのか?名誉なことだぞ!まずく斬ったら喰らいついてやる」と言ったそうです。
「首を斬られた者がどうして喰らいつけるのか?!」と問うと、「すぐに喰らいつくのではない~雷になって蹴り殺してやる!さあ、斬れ!!」と叫び義平は斬首されました。享年20歳でした。

▲それから8年後、難波経房は清盛のお伴をして摂津国布引の滝を見物に行った時、にわかに雷雨となり、雷に打たれて死んだという。

▲一方、幼い牛若を抱いた常盤御前たちもその頃、都を離れ、清水寺に潜伏しますが、最後は、常盤の叔父に裏切られ、とうとう捕まってしまい、牛若は、鞍馬寺へ預けられ、他の兄二人は、出家させられました。しかし、本当なら義朝の直系なので、斬首されても、おかしくは無いのですが、常盤御前が清盛に、寵愛を受けたからでは?とも言われております。その一方、頼朝も清盛の義母である「池禅尼」の庇護もあり、死罪ではなく、伊豆蛭ヶ小島へ流罪となりました。
その後の清盛は、その勢力を伸ばし、朝廷をほぼ牛耳る事となります。世は、平氏の世の中へと移り、平氏は、安芸守の地位を利用し、宋との貿易で莫大な富を得ます。そして、温厚で控えめな清盛も富や権力に流され、変貌を遂げて行きます。

▲そんな、清盛に厳島弁才天が、姿を現し清盛のおごる気持ちを戒めようとしました。

▲しかし、「我 神と同等の行いは出来る!」と、当時瀬戸内の音戸開削工事の折、工事の日没にかかったのを遅らせたという伝説も残っており、当時の平氏の隆盛を物語っています。
しかし、こうして平氏が隆盛を極めていた頃、東国や京では、その権勢を脅かす勢力が着々と育っていた事は清盛は、知るよしもありませんでした。
それでは、今宵はこの辺りで失礼させて頂きます。次回をお楽しみに!!
それでは、今宵はこの辺りで失礼させて頂きます。次回をお楽しみに!!