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皆様、お待たせ致しました!
荒木町地車の編集がやっと終了致しました。
この地車は、先日もお話しましたが、私個人は先日の貝塚「海塚地車」と同じく、20数年ぶりの再会という事で、拝見するのが非常に待ち遠しかった作品なんです。思い起こせば、20数年前、岸和田は、吉為工務店の作業場にて【吉為】こと故吉野為雄棟梁に、「棟梁。だんじり見せてな~」とお願いし、目の前に飛び込んできた巨大な地車が荒木町地車でした。当時「なんと、でっかい、だんじりや~(汗)」と驚いた事を記憶しています。そして、彫師は、当時売り出し中の木下舜次郎の一番弟子「筒井和男師」(後に嶺燁に改名)でした。ちょうど、腰周りの組み込み作業をされている最中で、ジッと拝見させて頂いた事が昨日のように思い出されます。
そんな個人的に思い入れのある地車なんで、当時、見ていた感じと現在、見るのとでは一体どんな風に見えるのか楽しみでした。
それでは、だんじりブームの先駆けとなった昭和59年新調の荒木町地車をご覧ください。
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▲まずは、姿見より。新調当時とは、少し感じが変わっていました。改修は、大下工務店さんだそうです。しかし、この大きさは、現在では標準かもしれませんが、見るとやはり大きく感じました。そして、荒木と言えば、この軒唐破風ですよね~
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▲主屋根の隅出す、木鼻です。隅出すは、武者もので、木鼻の目には、ガラスが入っていました。最近の地車では、貴重ですよね。
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▲そして、主屋根枡合ですが、二重枡合形式で、図柄的には、黒田のお家芸とも言える作品ばかりです。正面「天の岩屋戸の変」左「大江山 頼光木渡り」右「安宅の関 弁慶義経徴打」後ろ「陣幕に武者」です。二代目黒田より受け継いだ意匠ですね。
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▲続いて、車板、内虹梁と両平の二重枡合上部です。上部は、左「小碓命 川上梟師を誅す」右「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」です。
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▲そして、後屋根に廻り懸魚には、龍が睨みを利かし、垂木はカチコミ、枡合は、当時では、久しぶりの豪華な二重見送りです。
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▲隅出すは、「牛若 鞍馬山修行の場」です。私この隅出すの鞍馬山が、好きなんですよね~
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▲枡合付近は、正面の見送り虹梁が、「楠公桜井の駅子別れ」。車板は、「朝比奈三郎城門破り」。そして、二重見送りは、「本能寺の変」です。
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▲内部の信長の奮戦です!
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▲続いて、前に廻って腰周りの松良は、先代沼町の名工桜井義国師の名作を手本にした、右「頼朝朽木隠れ」左は「佐奈田与一 俣野五郎組打」です。この松良は、数々の松良を刻んできた嶺燁師の傑作ですね!
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▲そして、腰周り正面は、縁葛【富士の巻狩り】「褒賞の場」大連子「宇治川の先陣争い」【忠臣蔵】小連子「両国橋引揚げ 服部彦七の温情」土呂幕「藤吉郎初陣~伊藤日向守討取り~」です。
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▲縁葛・連子とも地車彫り物の題材としては、定番物ばかりですが、定番ゆえ彫師の真価が問われるところですね!
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▲アップです。特に、大連子の「佐々木高綱 宇治川先陣争い」は、高綱が上陸したところを刻んでいました。
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▲そして、土呂幕の「藤吉郎初陣」ですが、初めて見た時、奥行きの深さと豪快な彫り物に圧倒されたのを思い出します!また、「あわじ彫 筒井嶺燁」の墨書きが師匠を継ぐ渾身の作品だという事を強く感じました。 
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▲左平は、縁葛【富士の巻狩り】「仁田四郎忠常 大猪退治」大連子「粟津合戦 巴御前の雄姿」【忠臣蔵】小連子「清水一学の奮戦」土呂幕「独眼龍政宗 松川に岡野左内と戦いで虎口を脱す」です。 
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▲ここの連子も巴御前、清水一学と定番物でした。 
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▲そして、嶺燁師の個性が爆発した「独眼龍政宗」のアップです! 
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▲縁葛【富士の巻狩り】「狩場風景 勢子等の活躍」大連子「源義家 安部貞任を追う」小連子【忠臣蔵】「吉良邸討入り」土呂幕「木村長門守重成 単騎部下を救い出す」です。
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▲この面の縁葛が個人的には、良かったです!あと、先日掲載させて頂いた奥州合戦の名場面がありました。
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▲そして、土呂幕のアップです。名匠吉岡義峰より師匠舜次郎が引き継いだ名場面「木村長門守重成 単騎部下を救い出す」を見事に再現した名作です!
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▲続いて、後ろに廻って見送りと連動した摺り出し鼻です。よう出来てました!
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▲見送り周りは、竹の節は定番「親子唐獅子」幟台は、珍しい「唐草文様に夜疑神社御神紋」、半松良も珍しいんちゃいますかね?「こぶし型若草文様彫」です。
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▲そして、後腰周りは、良く彫られていました。縁葛より正面「藤吉郎 小牧山に樹木を算う」、右「茶坊主に化け難を逃れる秀吉」、左「藤吉郎 清洲城修築」です。連子は、正面は「日吉丸 矢矧橋にて小六と出会う」、右は「藤吉郎 信長公に初見参」、左は「今川義元 田楽狭間に露と落つ」です。この連子は良く彫られてましたね~しゃがんで、ちょっと間、見ていました~
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▲いよいよ、見送りです!見送りは、有名処が完全網羅された「大坂夏の陣」です。家康公、彦左ェ門など東方の武将が大脇に配されていました。そして、各武将の足元には、武将名が書き記され、拝見する物にとっては非常にありがたい配慮ですね~!
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▲その他、西方:真田幸村、薄田隼人なども所狭しと駆け回っていました!非常に豪華な見送りでした。聞いた話では、新調後、筒井師が、見送り内が少し寂しいので、付け加えられたとか。。
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▲それでは、ここで新調時との比較です。彫り物は、改修時に色付けをやり直されているので、パッと見た感じのイメージは少し違いましたが、概ね当時のままでした。そして、私たしか、当時初めて網無しを拝見したと思います。
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▲最後に、当時、吉為&嶺燁のコンビは、昭和57年の岸和田大沢地車製作より脚光を浴び始めた売出し中のコンビでした。そのコンビが、岸和田八木地区の大型地車を請け負うと言う事で、「どんな地車が出来るや~?」という地車ファンの期待に、見事応えた名作でした。 両師は、この後、昭和61年に高石「大園地車」忠岡「濱之町地車」を完成させ、飛ぶ鳥を落とす勢いでしたが、昭和61年12月嶺燁師が若くして、この世を去ってしまうという悲劇に見舞われました。たしか、嶺燁師は、50代前半の若さやったと記憶しておりますが、これより、どんどん研ぎ澄まされた作品をこの世に送り出してくれると期待していた矢先の出来事に、惜しまれる声も少なくはありませんでした。 そして、余談ですが何故か嶺燁師の作品には、髭を蓄えた武将がよく刻まれていると感じます。私の記憶が正しければ、嶺燁師もこの写真のような髭を蓄えられた御仁やったような気がします。

いかがでしたか?
20数年ぶりの再会に、少々興奮気味で、撮影させて頂き、非常に感慨深いものがありました。彫り物も一度改修されたという事もあり、「色付けの感じが少し変わったな~」というくらいで、製作当時の輝きを保った良い作品でした。嶺燁師の作品は、師匠「舜次郎師」譲りと言おうか、とりわけ人物の表情が非常に豊かなんですよね~そして、彫り物図柄も大正~昭和と受け継がれてきた黒田の定番と左平土呂幕「独眼龍政宗 松川に岡野左内と戦いで虎口を脱す」に、見られるような嶺燁師独自のものも取り入れ、当時の八木地区に、このコンビのすごさを植付けたと思います。もっとこの名コンビの作品を見てみたかったという気持ちが湧いた見学でした。

最後に、こんなすばらしい機会を与えて頂いた「板原村のだんじり会館」館長様はじめ、荒木町関係者の皆様、本当にありがとうございました。いつまでもこの貴重な地車を大事に曳行出来ます事をご祈念申し上げます。