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本日は、いよいよ熊取「野田地車」の最終章の第6弾です。
今回の第6弾は、見送りとその周辺部分のご紹介です。この後屋根周辺も今まで、ご紹介させて頂いた部分同様、非常に繊細な細工がなされ、見る者を魅了する作品が、満載であります。最後に、現堺町地車をはじめ数々の地車に、多大な影響を与えたすばらしさを存分に、ご覧ください。
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▲まずは、本当は、腰周りの部分で、載せたかったんですが、スペースの加減で、ここで紹介となった番号持ちの「勧進帳を詠む弁慶」と脇障子上部の物見です。残念ながら図柄は不明です。
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▲続いては、「大脇物見」と「竹の節」です。結構、特徴ある意匠なんですが、図柄は、不明です・・・(涙)そして、後で紹介しますが、この竹の節、見え難い部分に、非常に細やかな細工が・・・
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▲そして、見送り下の連子部分ですが、彫り物も良いですが、縁の千鳥になった細工が、ええですね~
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▲続いては、以前もご紹介した「旗台」の逸作の「三人力士」と摺り出し鼻と摺り出し受け上部の江戸期の地車を彷彿させる溝の細工。この明治期には、たぶん「からくり屋根」をする必要が無かったので、不要な細工のような気がするんですが・・・工匠の遊び心やったんでしょうか・・・
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▲前項でもあった摺り出し鼻は、左「常盤御前都落ち」右は「?」ですが、弓を射る平安期の武将なんで、何かの退治物でしょうか?現在の地車とは、違って後面も表の裏側になっています。ある意味この方が、深みが出るかも・・・
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▲そして、先ほど、出てきた「竹の節」です。この中に、人物の細工が、あるんですよね~その人物なんですが、特定は出来ませんが、戦場にて腰掛ける武将ともう片側は、パッと見い、神官のようですが、これも武将ではないかと思っております。しかし、こんな所に、こんな細工があるとは、恐るべしですよね~(汗)
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▲いよいよ、見送り部分です!図柄は、数々の地車に、影響を与えた「大坂夏之陣」です。
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▲まず、右の大脇は、腹巻胴の家紋から「本多出雲守」では無いでしょうか?この後の意匠が、筋海町の大脇に繋がると思っているんですが・・・しかし、何とも勇ましく刻まれてますよね~
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▲そして、先ほどお話した筋海町の大脇なんですが、個人的には、この井戸に本多出雲が飛び込んだ後が刻まれていると思ってるんですが、どうなんでしょうか?
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▲そして、見送りを右側から望むと人物は、少ないんですが、天井より延びる木々などが見えますが、その木々にも絡まる蔦まで、繊細に刻まれていますね~
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▲左平より、見てみると…
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▲いきなり、厳つい馬上の武将が見えます。
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▲こちらにも身構える武将の姿が…緊迫感が漂いますよね~
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▲ひしめき合う戦場です!おっ!手前には、赤ん坊を背負う武将が…(笑)
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▲その赤ん坊の武将が、刻まれる大脇「国松背負う後藤又兵衛半田寺山にて棺桶に槍を突き入れる」です!これも私が陶酔している開の筋海町大脇の見本となった意匠ですよね~さすが、跡目正珉が、見本とした作品ですよね~すばらしいです!
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▲そして、その筋海町の大脇です!
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▲いよいよ、後ろ正面よりです。す・すごい、ボリュームですね~(汗)
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▲摺り出し受けも後発の作品に、影響を与えたであろう大筒による名場面などが、きっちり刻まれています。
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▲アップです!
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▲そして、目を見張る「卯ノ丸」の脇障子です!ヤバイですよね~ほんま!
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▲見送り内のすばらしい作品群です!左は、「河村新八郎を討取らんとする薄田隼人」次代には、舜さんなど名匠が同じ意匠を刻んでますが、この作品が、最初なんですかね~?
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▲そして、彫り物の最後は、この作品もこれが最初か??見送りセンター「決死の馬上!木村長門守重成」です。蹴散らされている武者がリアルですね~文句なしです!刻むは、「相藤」か~?!
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▲はい!野田最後は、この薄田さんの隣に居た???
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▲何故か、そんな思いに駆られる「堺町」見送り内の「長宗我部盛親」と横の「彫師 宇乃丸(卯ノ丸)明治十一年作」の墨書き…
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▲板原村館長様はじめ、野田の関係者の皆様、この度は、貴重な機会を与えて頂き、本当に、ありがとうございました!

いかがでしたか~?
何と!第6弾の長編となった熊取~野田地車~でしたが、本当は、腰周り部分もう少し細かくご紹介させて頂こうと思ったんですが、私の精神力が持ちませんでした~(涙)しかし、この細部に亘って、「ここは説明しとかな、アカンやろ」と思わせるこの作品群は、何なんでしょうか?やはり、明治いや時代を代表する高松・相野一門による世紀の競演の成せる技なのでしょう!また、この後、製作される数々の名地車の見本となり、その都度、その時代の名匠をも唸らせたであろう事が、100年以上経った現在でも~横綱~の称号を与えられた理由ではないでしょうか。そして、この名地車の中の横綱を祭り運営されながら、ここまで管理されている野田町会の皆様には、改めて敬意を表させて頂きます。最後に、こんなすばらしい機会を設けて頂きました「板原村館長」様はじめ野田町会の皆様、本当にありがとうございました。この先も、この名地車の管理には、神経を使われるとお察ししますが、末永く大事に、曳行出来ます事を心よりお祈り申し上げます。