高くついた渡米最初の一ヶ月、カルチャーショック。やっとアパートに移り私より若い20代前半のクラスメートと英語の勉強の毎日がスタートしました。ホテルの部屋は広く、キッチンもあり、遠くですがパーシャルで海も見えて、、、でも勉強しないと学校に行かないとビザが取り消されるのであまり気は進まなかったけどやるからには!と心を決めすっかり忘れていた英語の勉強をスタートすることになります。入ったクラスは一番上のマスタークラスから一つ下のクラス。日本、韓国、中国、フランス、イタリア、ブルガリア、そして中東の王族?の息子たちがクラスメート。勉強、学校なんて10年ぶりでしたので出来ない自分を追い込みとはいっても英語は耳からともいいますので学校の後は買い物で日常会話を、そして映画館を彷徨きました。学校がセカンドストリート(サンタモニカの海はサンタモニカの街より低い位置にあるので一番手前が南北に走っているオーシャンブルバード、そしてセカンド、サードの順でサンタモニカの道は分かりやすく整備されています)にあり、その目の前が廃れている昔の映画を上映している映画館、2ドルで’〇〇映画名’と言って中に入ります。中に入るとワンフロアで4、5つの映画が見られる様な仕組みになっていて、なんと一旦入場すれば

ずーっといても誰も何も言いに来ません(笑)もちろん、自宅化していたホテルも目の鼻の先なので、学校帰り、友達もいないのでずーっと映画館に何度篭ったでしょう。はい、英語の学力はあっという間に伸びてきました(笑)一ヶ月でマスタークラスに上がることができました。元々3歳から母が英語のミュージカル的なレッスンに行かせてくれていましたので耳が良かった様です。この習い事は’LABOラボ’という組織で私が生まれた茨城県の古河市にもそのラボ教室がありました。このラボというのはアメリカ全土にある4Hクラブという組織と繋がっていて私は高校一年の夏に留学することになります、行き先は行く前にわかるというなんとも今では考えられないくらいのやり方ですね💦 結局は地平線の見える、平野しか見えない、隣の家が全く見えない、カンザス州Merysvilleというところに派遣されます(英語できませんし、まだ、高校一年生の15歳でした笑)’アジア人の黒髪の女の子が来た!’と新聞に載ったのをホストファーザーが見せてくれたのを覚えています(笑)中学で全国テストで英語では上位になったこともありましたが、日本の英語教育は実践できる英語ではなかったので、ホストファミリーがいうことを耳を凝らし、辞書を持ち歩き、コミュニケーションをとるのに必死な毎日でした。

5人の子供とトラ猫一匹のいるご家庭で(マーク17歳、サラ同い年の15歳、マーサ7歳、双子のミッシェルともう一人の男の子の名前思い出せず5歳)、楽しい日々ではありました。記憶されているのはよく食べる娘だと、ホストマザーの手作りハンバーガーを7個食べ家族に驚かれました。人生で初めてハンバーガーを食べた日でした。

おっと、話が高一の頃に行ってしまったのでモトイ!30歳人生を見直す旅でしたね。

この語学学校は三ヶ月で卒業し、その後UCLAのビジネスクラスを取ることになります。。。